ラーメン庶民のジャンクフードの代名詞・ラーメンは小津作品にもたくさん出てくる。 さて、どれから始めるか…。 ◇◇◇ お品書きのコメントは、ラーメンを食べる俳優に繰り返し喋らせている次のセリフからいただいた。 「ラーメンはね、おつゆがうまいんですよ。」 このセリフのある作品は『一人息子』と『お茶漬の味』だ。 前者では、“一人息子”の日守新一が、上京してきた老母(飯田蝶子)を東京見物に連れて廻った夜、屋台のラーメンを食べながらいう。 後者では、ノンちゃん(鶴田浩二)が、お見合いをすっぽかした節子(津島恵子)をラーメン屋に連れて行き、渡辺はま子が流れる店内でラーメンを食べながら津島に説く。 そのとき、こうも言う。 「こういうものはね、うまいだけじゃいけないんだ。安くなくちゃ。」 ◇◇◇ 『お茶漬』の二人は壁に向かうカウンターで並んでラーメンをすすっている。 店の名前は“三来元”。 この店は『お茶漬』の後、『早春』と『秋日和』に再登場する。 『早春』では、杉山(池部良)と“金魚”(岸恵子)が鶴田らと同じカウンターに座って中華まんじゅうを食べる。 一方『秋日和』では、後藤(佐田啓二)とアヤ子(司葉子)が、やはりカウンターでラーメンを並んで食べる。 司の不味そうな食べ方が印象的である。 カラーになった『秋日和』では店を改装したのか、以前は入口のとこにあったカウンターが店の奥に移動している。 ところでこの三来元のカウンターは、細かぁいことを気にしてどんどん話を膨らませるのが得意な総長先生にも注目されている。 彼は著書『監督 小津安二郎』で、この奥行きのないカウンターの場面が「最も抑圧から遠い小津の自由な映画的感性が露呈している」と指摘している。 そうですかねぇ?うーん、そうかもしれねえなぁ。 (加東大助の声で読んでください。) 小津が人物を撮るとき、背景はできるだけ奥行きがなく抽象的な方がよかった。 (背景よりも手前の小物を気にする傾向がある。) 背景として、忙しくする店員が写るカウンター越しの厨房よりは、ただの壁の方がずっと好ましかったに違いない。 そのために壁に向かうカウンターをわざわざ設置し、二人を配置した。 この、あえて不自然さを平気で取り入れるところを“自由な映画的感性”と呼ぶのだろう。 ◇◇◇ ラーメン屋には、あと『東京暮色』,『彼岸花』の珍々軒、『秋刀魚の味』の燕来軒がある。 『暮色』の珍々軒と『彼岸花』のそれはどうやら別の店らしい。 前者は五反田の踏切そばで藤原釜足が細々やっている、どちらかというと後述する燕来軒に近いひなびた店だが、後者は有楽町にあるなかなか繁盛する店だ。 藤原が五反田の店で儲けて銀座に進出したとは思えない。 ちなみに『彼岸花』の珍々軒は、例のカウンターのとこがテーブル席に変わっているところを除けば『秋日和』の三来元に間取りがそっくりだ。 『秋日和』の三来元は実は支店で、『彼岸花』の珍々軒を買い取り改装して開店したのかもしれない。 ◇◇◇ 燕来軒は、元漢文教師の“ひょうたん”(東野英治郎)が定年退職後、食っていくために始めたらしい。 「つい便利に使うてしもうて」嫁に行きそびれた娘(杉村春子)が手伝っている。 常連の坂本(加東大介)によれば… 「ここあんまりうまくないんです。な、親父」 であることからも、東野の腕が確かでないことがわかる。 加東はここにチャーシューメンを食べに来て、かつての上官・平山(笠智衆)に出会う。 笠は東野の教え子。 戦争では海軍兵学校に入り駆逐艦の艦長になり、戦後はどこかの会社の監査役に収まっている、いってみれば人生の成功者で東野とは好対照をなしている。 しかし映画が進んでいくうち、笠と東野が似た境遇にあることがわかり、自分の行く末を見た気がする笠が娘を嫁にやろうと焦るのだ。 やはり岩下志麻が杉村春子になるのは困るよな。 ◇◇◇ ラーメンはその他、『お早よう』で家を飛びだした実・勇兄弟が英語の先生・福井(佐田啓二)におごってもらうとか、『早春』で池部が帰宅したら夕食ができてなかったのでふてくされて飛び出し友人宅で麻雀をしながら出前を食べるとか、登場の仕方が些細なので以下は割愛する。 じんちーの麺は世界だラーメンは好きです。 昔は新宿・桂花とか渋谷・喜楽とか恵比寿・香月に通ったものですが、現在は「ラーメンならここ」といえるほどの贔屓もないし、さあ何を食べようか、というときラーメンが筆頭候補になることも稀です。 枠を拡げて、ラーメン→パスタという目でみると、いくつかあるので、これを紹介しましょう。
こう書き連ねてみると、僕にとって麺とは積極的に食べる料理ではないみたい。イタリアンは例外ですけど。 Copyright © 2000-2005 Jinqi, All Rights Reserved. |