原節子演じる三輪秋子は、本郷三丁目の薬屋の看板娘だった。 “お嬢さん”と呼べるような身分ではない。 しかも、大学生だった三輪とつきあいを始めて、20歳で結婚しているところからして、若いころ遊んだ形跡はない。(時代が時代だし)
おそらく、結婚してからずっと良妻賢母だったに違いない。 戦争もあって大変だったようだ。もちろんマニキュアなんて一度も塗ったことはなかったろう。
夫は須賀不二男が勤める会社で部長にまでなった人物である。 安直な発想だが、敗戦が彼の出世を加速させたに違いない。 つまり、うまい具合に戦後復興に必要な物資を扱い、顧客をつかんで、ぐんぐん伸びたのだ。(おそらく鉄鋼会社とか化成会社とかのメーカーの営業である) これにより、一家の財産は順調に増えた。
また、夫は東大出のインテリである。 高橋とよによれば、インテリの奥さんは“わたくし”なんて言葉を使うことになっている。 秋子は東大出の男と結婚した時点でインテリと同格となり、ほとんど必然的にあの言葉づかいになったと考えられる。
生活がゆたかになれば、化粧くらいする。 夫が営業の仕事をしていれば、接待もあるだろう。 もちろん家には富沢さんがいて、自分が掃除したりお米を研いだりする必要はなくなった。 この時点で爪を伸ばし、マニキュアをするようになっても不思議はない。 ないが、どうもそれはしっくり来ない。 いかにも貞淑な妻がそんなことをあの時代にしただろうか?
ところで、三輪とは親友だったはずの佐分利信と中村伸郎の妻、沢村貞子と三宅邦子は、秋子と親しいわけではなさそうだ。 夫は親友同士、生活レベルも同じくらいなのにつき合いがなかったのは妙だが、これは“きれいな人は(いつまでも)得ねぇ”というねたみからくる敬遠かもしれない。
夫は、美人の奥さんはもらうわ、地位もお金も入るわで果報を取りすぎた。 それで、人生の絶頂期にあっさり死んでしまう。
すると、もともと『風の中の牝鶏』の田中絹代のように生活力のない秋子は夫の遺産を少しずつ切り崩し始める。 豪勢な一軒家を売り払い、無機的なアパートに引っ越す。 やがて娘が働き始めて少し楽になったが、娘が自分のもとからいなくなるのも遠い話ではないことに焦った秋子は、旧友がやっている洋裁学校で雇ってもらう。
【結論】 ところが、旧友の旦那は気持ち悪いやつだった。 そして秋子にひそかに言い寄ってきた。 派手なアクセサリーやマニキュアを贈り「これをつけないと辞めてもらいますよ、はっ、はっ、はっ」と脅した。 やめるわけにはいかない秋子は、しかたなく爪を伸ばしマニキュアをした。
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とかなんとか無理やりこじつけてはみたが、結局は大女優のやることあるいは自分の好きな人には小津といえども文句をつけられなかったというところか。 この作品をよく観ていると、原の指をできるだけ写さないよう周到に構図を決めていることが窺える。 食事時のバストショットで原がテーブルに手を置いたときも、その手前の小鉢などが指を隠しているのだ。
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