妹・路子(岩下志麻)を結婚させたい父・周平(笠智衆)に頼まれた幸一(佐田啓二)は、同僚・三浦(吉田輝雄)をとんかつ屋に誘い「(妹と)結婚する気ないか?」と切り出す。ところが吉田にはすでに結婚を約束した恋人がいることがわかり、お互いに一瞬気まずい雰囲気になる。しかし、すぐさま吉田は結婚話など忘れたように「ビールもう一本頼みましょうか?」「とんかつももう一枚いいですか?」「(とんかつ)うまいですね」と続ける。
とんかつという料理は、おかわりなどするものではない。というのが僕の持論であり、これは世間一般に通用するものだと信じている。とんかつ屋には何度行ったか数えきれないが、キャベツやごはんならともかく、とんかつをおかわりする客に出くわしたことはない。
おなかが空いているならば、最初から二枚頼まなくてはいけない。とんかつは頼んですぐできるものではないのだから。とんかつ好きだった小津ならば、そんなことは百も承知のはずである。
それなのになぜ、吉田はとんかつをおかわりしようとするのか?
吉田に関するエピソードを思い出していただきたい。吉田は友人のマクレガーのゴルフクラブを佐田に仲介している。そして本人が述懐しているように、結婚を控えているにもかかわらず彼には金がなかった。
【結論】 実はあのクラブ、ニセモノだったんである。吉田は友人からは極めて安い価格を提示されたのだが、これを本物と偽って佐田にあっせんし、余計にもらった代金をピンハネしていた。 急に佐田に呼び出された吉田は、そのことがばれたのではないかとびくびくしながらとんかつを食べていると、以外にも結婚話だった。 吉田はニセモノマクレガー事件がばれていないことを知り、ホッとしたら急におなかが空いたのだ。
この結論を意外に思う人がいるかもしれないが、吉田輝雄といえば石井輝男とのテルテルコンビである。石井作品に登場する吉田を思い出してみれば、“それくらいのことはやるかもしれないな”とつぶやかずにはいられないだろう。
(僕が三浦役なら、とんかつを食べているうち、あまりにおいしいので本当にもう一枚食べたくなって、持論を忘れてあんなセリフを吐いちゃうかもしれませんね。いいよなあ、なんたって蓬莱屋だからなあ。)
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ところで、小津作品に登場する若者は概して食いしん坊である。
小津作品において、“食べないこと”は映画の主題にかかわる重要な行為(あるいは非行為)であるが、“過剰に食べること”は物語の本筋からは距離をおいた、あるユーモラスな挿話にすぎない。が、そんなところがまた観ていて楽しいものである。
若者ではないが、このユーモアを究極にまで推し進めた役があった。『秋刀魚の味』の元漢文教師・ひょうたん(東野英治郎)である。
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