出来ごころで紳士録
この膨大な出演リストを見よ。さすが、小津の分身・笠智衆である。笠智衆と三宅邦子は小津組には出なくちゃいけない、という迷信があったくらいだ。とはいえ、このうち主演と呼べるものは6,7本である。 特に『父ありき』で正真正銘の主役をもらうまでの彼は、いわゆる大部屋俳優で“その他大勢”の一人だった。これらの作品を観るときには、笠智衆探しという楽しみがある。どこに彼が出ているか画面の隅々まで目を凝らして見、彼を発見して喜ぶのだ。このゲームは、日活アクションでの青木富夫や、東映やくざものの川谷拓三を探すことと同義である。 この俳優は最初から最後まで、いわゆる大根だったと思う。その最たるものは『お早よう』だ。あの演技のぎこちなさ、台詞の棒読みぶり。監督があれでOKを出したのかと呆れてしまうほどだ。この作品はともかく、いやこの作品さえも含めて、彼の演技は見ていてしみじみ、微笑ましく、これが小津作品のトーンを決定づけていると思われる。 笠智衆の最高傑作は何か。これは間違いなく『東京物語』である。背中に座布団まで入れて臨んだ老け役。穏やかな顔と台詞。奇跡のような熱海の堤防、浄土寺の境内。この笠智衆とあの原節子を得て、『東京物語』は小津の、日本映画の最高傑作と謳われるようになったのだ。(個人的には『麦秋』の方が好きだけれど。) 笠智衆は実生活でもとても真面目な人だったそうだ。下戸だったし趣味もそんなになかったらしいが、宴会にはちょいちょい呼ばれる事情からか、いくつかの隠し芸をもっていたらしい。そしてその一端を小津作品で見ることができる。
『正気歌』は、元教師である笠智衆が、呼ばれた同窓会でうなる。GHQのカットによって現存のプリントで聞くことはできなかったが、最近になって検閲前の別プリントが発見された。是非、旧プリントと合成した復元作業を行ってDVD化していただきたいものだ。 のぞきからくりの口上は『長屋紳士録』で、三角くじで2,000円当たった坂本武家における寄合の酒席で披露される。みんなで湯呑を箸で叩きながらたいそう楽しそうであった。『不如帰』は例の“武男と浪子さん以来のもので”の小説で、自然と笠智衆が『秋日和』で演じた伊香保の温泉宿・俵屋の主人を思い出す。 『戦友の遺骨を抱いて』は、パチンコ屋を営む笠智衆が佐分利信とノンちゃんを奥に招いて焼酎を呑みながら気持ちよさそうに唄う軍歌である。い〜ちばんのりをやあるんんだあとお〜、りきんでしいんだせえんゆううのぉお〜、いぃこつをだいていまはぁいいるぅうう、シンガポオルのまちのあさあ〜♪ 小津がシンガポールを思い出して採用したのだろうか? 『楠正行…』は、やはり同窓会でうなる。場所は蒲郡。かえらじとぉ〜、かねておもえばあずさゆみぃ〜い、なきかずにいるなをぞとどむるぅ〜う♪ やっぱり、いいもんだなあ。(いや、実は詩吟はまったく分からないのだが。) 笠智衆は僕の理想のおじいちゃんである。実の祖父と前後して亡くなったこともあり(どちらも訃報を海外で受け取った)、何かと重ねて見てしまう。僕も年を取ったらこういう老人になりたいものだ。無理だろうけど。 Copyright © 2002 Jinqi, All Rights Reserved. |