[↓2000年][↑2002年]

2001年に観た映画の一覧です

今年の標語: 始まったら寝るな、寝るなら行くな(現在の寝なかった率: %)

Best10です。(旧作は含んでいません。ただし日本初公開作は新作扱い)

  1. #107「美麗時光」張作驥/2001/台湾=日
  2. #29「花様年華」王家衛/2000/香港
  3. #88「春の日は過ぎゆく」ホ・ジノ/2001/韓国=日本=香港
  4. #108「キプールの記憶」アモス・ギタイ/2000/イスラエル=仏=伊
  5. #35「ふたりの人魚」婁[火華]/2000/中国=独=日本
  6. #79「エスター・カーン めざめの時」アルノー・デプレシャン/2000/仏=英
  7. #53「夏至」トラン・アン・ユン/2000/仏=ヴェトナム
  8. #7「EUREKA」青山真治/2000/サンセントシネマワークス=東京テアトル
  9. #5「風花」相米慎二/2000/シネカノン
  10. #83「週末の出来事」章明/2001/中国

星の見方(以前観たものには付いてません)
★★…生きててよかった。
★…なかなかやるじゃん。
無印…ま、こんなもんでしょう。
▽…お金を返してください。
凡例
#通し番号「邦題」監督/製作年/製作国/鑑賞日/会場[星]

#110「スプリング-春へ」アボルファズル・ジャリリ/1985/イラン/Dec. 28/三百人劇場
イラ・イラ戦争でホームタウンを追われ、家族ともはぐれ、収容所からある老人のもとに預けられた少年。この少年と老人の交流の話。若いぜ、ジャリリ監督。演出が稚拙で、技術的にもまだまだ勉強中といった印象である。少年の声が女性のいわゆる声優のものに変わっているのがどうしようもなく不自然。まあこういうことが普通だった時代があったには違いなく、それを採用したのが監督の責任とはいえないので、これ以上言及するのはやめよう。舞台はカスピ海(?)沿いの山中だったようだが、イランにはこんな緑と水が豊かな土地もあるんだなあ、と自分の無知を棚に上げ感慨。さて、これで今年の映画鑑賞は打ち止め。なんと《寝なかった率》100%を達成。こんなこと本人も予想していなかった。一本一本緊張して観たからな。来年はリラックスして、映画がつまらなければ寝てもいいや。(あくまで“つまらなければ”である。)
#109「修羅雪姫」佐藤信介/2001/『修羅雪姫』製作委員会/Dec. 28/テアトル新宿
どこかで予告篇を見て面白そうだったので観に行った。釈由美子なるアイドルが主演、脇に嶋田久作と佐野史郎という2怪人。渋いのは沼田曜一。東映任侠物で悪役博奕打ちなぞ演じていた人である。中身は超ハードアクション。甄子丹がアクション監督を務めたというからには足技・ワイヤーアクションばりばり。アイドルも殺人マシーンをクールに好演していた。ただ、最近の日本映画全般というか若い俳優にいえることだが、喋り方がフツウで、聞いてて物足りない。映画を感じないのだ。俳優にはやはり基本の訓練が必要じゃないだろうか。舞台は日本と中国を合わせたような仮想国だったが、出てくる車は上海ナンバーだった。本作にはオリジナルがあって、監督は藤田敏八、主演は梶芽衣子。1973年の東宝作品である。うーん、観たいぞ。日本映画専門チャンネルあたりでやらないか?
#108「キプールの記憶」アモス・ギタイ/2000/イスラエル=仏=伊/Dec. 23/シャンテ・シネ3★
上映前に『地獄の黙示録』の予告篇がかかった。極上のエンターテイメントとしての戦争がそこにはある。これに対して本編は、監督の私的記憶にもとづく戦争の生々しい再現ドラマ。好対照である。慰問団のグラマーな姉ちゃんも出てこなければ、死ぬときに首に下げたロケットから妻や子供の写真が覗いたりすることもない。滑らかに移動するキャメラは長回しで泥濘の中であえぐ男たちを距離をおいて冷酷に見つめる。クレジットによれば、キャメラを回すのはレナート・ベルタ。そうかそれで思い出した。使われている音楽の一曲が、『ラ・パロマ』でイジドールが夢想におちいるときのノイズというか音楽にとてもよく似ているのだ。あれは監督の悪夢への誘いの音楽なのだな。(曲はもう一つあったのだが、そちらはヴァンゲリスを想起させた。) 世界的にいろいろ不幸な事件が重なった年、暮も押し迫って大変な映画(確かに映画だがフィクションと言い切れない)を観てしまった。
#107「美麗時光」張作驥/2001/台湾=日/Dec. 22/東京国際フォーラム★★
僕のいち推し監督の一人、張作驥の新作もハイビジョンで上映。この人の撮る画面はいつもやさしさが溢れていて眩しい。スパイスとしての暴力も効果的。また、食事シーンの楽しさで右に出る者はいない。音の使い方がいい。とにかく、褒めちぎりなのだ。今回は母親を癌で亡くし、二卵性双生児の姉も末期という青年アウェイの、儚い青春の物語。素晴らしい。今年のナンバーワンはぶっちぎりで本作だ。前作と同様にファンタジックな進行をみせる。この性質が公開時の邦題にどう影響するか、いまからやや心配である。きょうは不思議にも、観た全作に幻想や空想シーンがあったが、監督の力量差をいやというほど感じさせられた。そうそう、常連アギイは本作ではあまり目立たず残念。次作ではまた暴れて欲しいね。
#106「ザ・ロード」ダルジャン・オミルバエフ/2001/カザフスタン=日=仏/Dec. 22/東京国際フォーラム
さてさてお次にひけえしは、母親の病気を知らせる電報を受け取った映画監督が故郷を目指してプジョーワゴンを駆るこれまたロード・ムーヴィー。子供のころから夢見がちだったらしいこの人、映画監督にはなれたものの、なかなか目が出ないらしい。道すがら、いろいろ夢想する。『熱帯魚』の男の子が大きくなったらこんな奴になるんじゃないか? とにかくその夢想、内容がしょうもないのだがそれがなかなか魅力的である。道草が祟って、着いてみると母親は…。『アクスアット』に出ていたおじさんがこれにも出ていたな。カザフスタンのアンソンギみたいな人だろうか。(パンダ・ゴロに教えてもらったが、これがセリック・アプリモフ監督自身だそうだ。うーん、気がつかなかった。)
#105「グレーマンズ・ジャーニー」アミル・シャハブ・ラザヴィアン/2001/イラン=日/Dec. 22/東京国際フォーラム
NHKが出資してアジアの若い監督に映画を撮らせ、これを上映する企画のアジア・フィルム・フェスティバル。上映はすべてハイビジョンで行われる。確かにハイビジョンというやつは画面のぶれもないし大スクリーンにも耐えられる解像度であまりそうと気にならないが、16:9というアスペクト比はヨーロピアン・ヴィスタにはちと幅が足りないじゃないか。トリミングしてないだろうな? さて、最初にひけえしの本作は、3人の老人がかつての人形劇団を再結成し、オンボロのシボレーでテヘランから3人が出会った町・ビールジャンドまで流れるロード・ムーヴィー。アフレコが変なのが気になる。話が臭いのが気になる。イラン人の好きな映画中映画の手法をまたまた採用しているのが気になる。端的にいえば、この監督、未熟者である。処女作かな? これから大いに頑張っていただきたい。
#104「帰路」李晩煕(イ・マニ)/1967/韓国/Dec. 11/国際交流基金フォーラム
再びチラシには“小津、成瀬を凌ぐ家庭劇の傑作”とある。こういう挑発的な文を読んだらたとえ平日だろうと観に行かねばなるまい。フタを開けてみれば、これはホームドラマではなくメロドラマであった。自動的に小津は比較の対象外である。してみると、なるほど、主人公である妻と若い愛人である新聞記者は司葉子と加山雄三のようである。成瀬よりはかなりしつこい映像ではあるが、仰角ショットと極端に少ないセリフによって助長されるこのしつこさが本作品の魅力だ。それに、朝鮮戦争の英雄で下半身不随の夫が軍歌を聞いたときの狂気はDr. ストレンジラブを想起させるし、愛犬ベスが死んだときの主人公の尋常でない反応も観客を遠く置き去りにするパワーを持っている。上映前は眠かったのに、寝ている暇などなかった。おかげでまた不眠記録が延びた。どうでもよいが、夫は露口茂と佐藤允を、妻は野際陽子と芳村真理を、新聞記者は許冠傑と三上真一郎を、それぞれ足して2で割ったような顔だった。
#103「イ・ジェスの乱」朴光洙(パク・クァンス)/1999/韓国=仏/Dec. 8/国際交流基金フォーラム
韓国映画プロジェクトIIなる企画の一環で、チラシには“歴史大作”と書かれてあった。いやな予感がした。それでもシム・ウナ出演だし、という不純な動機が勝ってしまい、夜の上映にノコノコ出かけていったのだ。早い話、行ったのは失敗だった。話は20世紀初頭に済州島で起こった民衆暴動が対象。対立関係が複雑でわかりにくいので映画向きなテーマではない上に、主人公である暴動の頭目となった男をはじめとして誰にも感情移入できない。観ている者にはいらだちと嫌悪感がつのるのみ。妙なクローズアップも意味不明。その上、海女役のシム・ウナ(字幕には“シム・ウンハ”と出ていた。考えてみれば“沈銀河”なんだからそっちの方が自然だよな)はいつも眉間にしわを寄せているし、あまり出てこないし。上映前のあいさつで監督があらかじめ言いわけしていたところからみて、本人にも自信作ではないようだ。上映後の拍手もパラパラ。
#102「孫悟空 前篇・後篇」山本嘉次郎/1940/東宝/Dec. 8/ラピュタ阿佐ケ谷
満映の李香蘭と中華電影の汪洋が特別出演している以外、別に国策的な臭いはしない一方で、異国文化の描写は国辱的である。冒頭、三蔵法師が皇帝から天竺への出張(?)を命じられるのだが、説明字幕が出るまでそこが唐とは思いもよらなかった。この上映は円谷英二特集の端くれで新たにプリントしたということなのに、残念ながらネガが痛んでいるらしく映像にはかなりのノイズが載っていた。円谷らしくがんがん合成を使っており、おそらくあまりロケはしていないのだろうが、それにしても出演者やセットの数からして相当の大作だったことは間違いない。陳腐なギャグの数々にはまったく笑えない。しかし、日中戦争最中、太平洋戦争を控えた時局にあって、大衆が江戸っ子言葉の悟空・エノケンに笑っているのが目に見えるような娯楽作だった。
#101「プラットホーム」賈樟柯/2000/香港=日本=仏/Dec. 1/ユーロスペース2
劇団のどさ回りを通した歴史描写といえばアンゲロプロスの『旅芸人の記録』だが、本作もそれに勝るとも劣らない傑作。去年のFILMeXでは3時間10分版が観られたのだが、今回の一般公開版は2時間31分。DVDにするときは是非両バージョンを入れていただきたい。30分も短いと細かいエピソードがいろいろカットされていて、特に『モニカ』が聞けなくなったのは残念。というのは冗談としても、カットによって主人公4人以外の人物が何者なのかわかりにくくなっている。それでも、改革開放路線をひた走る中国の姿を風俗を通して間接的に描写するテクニックは完璧性を維持。次作も用意されているようだし、ますます楽しみなジャッジャッ・ジャンク♪さんであります。
#100「真剣勝負」内田吐夢/1971/東宝/Dec. 1/新文芸坐
内田吐夢の遺作。中村錦之助の宮本武蔵が三國連太郎の宍戸梅軒と勝負する。セットは梅軒の家ひとつだけ、あとは野原でのロケーションというミニマムな環境で二人の心理戦が展開する。各々が何か考えるときストップモーションにするというギミックはサイレント映画の字幕みたいに便利なものだが、なかなか効果的に使われている。相手の子供を人質に取ることによって勝負を有利に進める武蔵(ほかにもそういう類のエピソードがある)を卑怯呼ばわりする人がいるそうだが、僕はそうは思わない。子供に手をかけることが非人道的で何にも優先して非難されるものだとすれば、真剣勝負に際して子供をおぶっている梅軒の細君の方が、子供を楯に使っているよっぽど卑怯な奴というものだ。それにつけても、やっぱり武蔵は錦ちゃんだね。
#99「アメリ」ジャン=ピエール・ジュネ/2001/仏/Nov. 30/シネマライズ
デリカテッセン』などの超偏執的な映像で特異な存在の監督の新作は“大人の見る絵本”。といっても『生れてはみたけれど』のように人生のなまなましい現実をさらけ出して苦笑を誘うものではない。誰もが日常生活の中で一度は考えそうなささやかな快楽や空想を次から次へとイメージ化しており、“これこれ”とか“そうそう”とか共感の微笑があちこちで見られそうな一品。こういうのは映画的にどうこういわず、単純に楽しみたい。主人公アメリが恋する青年役にあのマチュー・カソヴィッツ。とぼけた味をうまく出していた。
#98「ミレニアム・マンボ」侯孝賢/2001/台湾=仏/Nov. 25/有楽町朝日ホール(FILMeX)
作家が自分の作風を変えていくのは勝手だし、誰にも止められない。自分の好みに合わなくなれば、離れればよいことだ。この監督にそういう印象をもつようになって久しい。それでも毎度観てしまうのは、やはり過去の記憶が糸を引いているのだろう。で、この作品。残念ながら、やはりついていけなかった。冒頭の基隆站陸橋シーンで“おっ”と思わせた期待は単なる肩透かしに終わったのだ。かろうじてOKなのは、自動車移動シーンの『憂鬱な楽園』に呼応する浮游感のみである。再見導演、再見。
#97「イチかバチか」王光利/2000/中国/Nov. 25/有楽町朝日ホール(FILMeX)
FILMeXは2本だけ、と思っていたらもう一本予定が入ってました。これはコンペ参加作品。むちゃくちゃ低予算で、しろうと俳優を使って撮ったという、上海に暮らすバイタリティ溢れる普通のおじさん・おばさんの七転八起。車の窓に撮影クルーは映り込むわ、ライトの影がくっきり落ちてるは、細かいことは気にしていないのか、気にする余裕がないのか…。でも、僕はこれ面白いと思いました。劇映画作るのは初めてだったんでしょうか、この監督? それで公開にこぎ着けるなんて幸運なこと。幸運といえば、宝くじ買って当たったと思ったら夢や勘違いだったというネタは紋切として定着しているけど、この作品ではほんとに当たっちゃうんだな。そうだ、宝くじは当たるために存在しているのだ。いまに見ていろ、僕だって。むふふ。
#96「大菩薩峠 完結篇」内田吐夢/1959/東映京都/Nov. 25/新文芸坐
いきなり完結篇。悲しき剣豪・机龍之助もさっさとミニチュアの橋梁とともに川の藻屑と消えるときが来た。何年がかりの話なのかわからないが、錦ちゃんは元服して顔もふっくらしてきたし、ふっくらといえば丘さとみもますますふっくらして春川ますみに近づいてきた。それに徳大寺伸がしょうもない役で出てた。だからなんだと聞かれれば、“あんまり面白くもなかったよ”と北竜二風に云ってみるしかない。千恵蔵といえばやっぱり『鴛鴦歌合戦』(しつこい?)、あるいは『大岡越前』のご隠居だ。無理して二度も観なくてよかった。>『第二部
#95「武士」キム・ソンス/2001/韓国/Nov. 18/有楽町朝日ホール(FILMeX)
東京国際映画祭のあとはFILMeXである。去年はソフラブ・シャヒド=サレスという大収穫があったのだが、今年は仕事の関係で本オープニング作と審査員長の侯孝賢作品しか観られなく、とても新発見にはほど遠そうで残念。で、本作は韓国ものの歴史アクション。砂漠のど真ん中での高麗から明への使節団と蒙古軍の死闘。血が出る出る。首が飛ぶ飛ぶ。人が死ぬ死ぬ。この凄まじさで“馬は一切負傷していません”というテロップを流しても誰も信用しないと思うぞ。そんな中、高麗の将軍と奴隷は明のお姫さまを奪い合う。お姫さまを演じるのは章子怡。皆が必死で蒙古軍と戦っているというのに、お高くとまってはいけません。炊き出しに水餃子を作って、クンフーで加勢しましょう。ところでこの会場はあまり映画向けじゃないですね。やはり映画は映画館で観るのがよろしいようで。
#94「大菩薩峠」内田吐夢/1957/東映京都/Nov. 18/新文芸坐
千恵蔵版『大菩薩峠』の第一作である。すでに1992年に観ているが、例によってほとんど内容を憶えていない。いきなり、スクリーンサイズが特殊なことに戸惑った。ヴィスタとシネスコの中間くらい。しかも東映のオープニングといえば“ザッパーン”だが、これがない。さすが巨匠のやることは違う。でも、問題は配役である。宇津木兵馬の錦ちゃんと七兵衛の月形龍之介はいいとしてもだ。机龍之助は雷蔵の方がいいし、お濱も中村玉緒の方が凄みがあっていいよなあ。千恵蔵ならやっぱり『鴛鴦歌合戦』でしょう。
#93「オー・ブラザー!」ジョエル・コーエン/2000/米/Nov. 10/シネセゾン渋谷
そんなわけでひとりで観に行っちゃいました。満席で立ち見まで出てた。(『エスター・カーン』は無念にも打ち切りになってしまったけど、これくらい入って欲しかった。) 脱獄囚3人の注目すべき人々との出会い、おとぎ話である。彼らが結成(?)するThe Soggy Bottom Boysなるグループが唄うのを筆頭として、カントリー・ミュージックが心地よいし、コーエン兄弟のアメリカ社会に対する批判がチクチク感じられて思わずほくそ笑んでしまう。**** the K.K.K.である。ネタがいろいろ隠されているくせ者映画だと思うのだが、僕にはあまりそれがわからなかったのが残念。例えば、ジョージ・クルーニーがこだわる“Dapper Dan”というポマードは実在のものだろうか?それとも“Dipper Dan”のパロディ?
#92「柳生武芸帳」稲垣浩/1957/東宝/Nov. 10/船堀シネパル
これは日本版『笑傲江湖』だろうか? 柳生武芸帳という巻物をめぐる争い。東方不敗は出て来ないが、ワイヤーワークはあったぞ。でも、面白くない。女優陣は久我美子、香川京子、岡田茉莉子とかなり豪華だし、主役の忍者は三船敏郎と鶴田浩二、脇に大河内伝次郎、東野英治郎などという強力な布陣。(扇千景のダンナも出てた。) でも、久我美子の化粧はカラー映画には白すぎて気持ち悪いくらいだし、同じことが鶴田浩二にもいえる。(彼は佐々木小次郎役でもそうだった。) 三船敏郎の目は黒く縁取られて妙だ。(あいかわらずダイコンだし。) 最も気になったのは大河内伝次郎が悪役であること。個人的には、彼はつねにヒーローでなくては納得いかない。まあ、映画を台なしにした元凶は散漫な演出だ。中途半端なエピソードが多すぎる。と思ったら、これには続編『双龍秘剣』があるんだな。それを観れば一挙に解決するのかなあ…。
#91「不良番長」野田幸男/1968/東映東京/Nov. 3/フィルムセンター
僕は『オー・ブラザー』を観ようと提案したのに、家庭の事情からこれを観ることになってしまった。梅宮パパ主演の愚連隊もの。愚作である。大原麗子がそのメンバーのひとりなのがショック。死ぬときには、観ていて恥ずかしくなるスローモーションで踊りながら倒れていく。(『十手舞』の石原真理子を連想させた。) なんだか大原麗子のイメージがガラガラと崩れる思いがした。No.1 南原宏治の不敵な笑いが笑いを誘う。タンバが出て来たと思ったら、愚連隊メンバーをひとりひとり殴って帰っていき、それっきり登場せず。藤村有弘もちょいと出てきてそれっきり。まったく妙な映画だ。興味深いのは西新宿のロケーション。高層ビルはまだ一本もなく、公園の向かいには淀橋浄水場が拡がっていた。
#90「The Chimp」アクタン・アブディカリコフ/2001/仏=キルギスタン=日本/Nov. 3/オーチャードホール(TIFF)
パンフレットやチケットにはつねに“The Chimp (原題)”と書かれている。日本のプロデューサがついていながら、なんで“原題”(といっても原語じゃないが)のままなのか疑問だ。映画は監督の自叙伝のようなものらしい。少年(演じるのは監督の実の息子)が兵役検査を受けてから入隊するまでのつかの間のエピソードが語られる。事実に基づいているとはいえ、話自体はやはり紋切型の範疇にあるが、絵がきれいなのは特筆されるべきである。1974年だというから当然キルギスはソ連の一部だったわけなのに、その事実を示す記号が軍人以外に見つからない。社会主義ってそんなものだったのかな?
#89「ふたつの時、ふたりの時間」蔡明亮/2001/仏=台湾(?)/Nov. 2/渋東シネタワー3(TIFF)
なじみのあるアパートの一室から映画は始まる。例によって長回し。苗天演じるお父さんはこのワンカットで亡くなってしまう。小康は憑かれたように時計を片っ端からパリ時間に変える。パリとはおそらく、彼岸である。この仮説はエンディングで裏付けされるのだが、パリをさまよう陳湘[王其]は、小康の忠告を聞かず彼の時計を買ったために死んでしまったのかもしれない。死人にコミュニケーションができないのは当たり前である。食堂でしかり、公衆電話でしかり。小康は台北をパリにチューニングすることにより彼女、つまりあの世との交信を図るのだ。相変わらず登場人物はみな孤独である。キャメラは頑なにフィックスされ、音楽も一切ない。この監督はどこまで突き進むのか。
#88「春の日は過ぎゆく」ホ・ジノ/2001/韓国=日本=香港/Nov. 2/渋谷ジョイシネマ(TIFF)
これは『八月のクリスマス』のリメイクではないか。さまざまなファクターに類似性と対応性が見られる。かわいい女性、写真と録音、出会い、アイスとラーメン、つねに微笑んでいる男、男の死と祖母の死、やさしい画面、移り行く季節、結局何も変わらない人生。『東京物語』が好きだと語るシャイな監督。いかにもである。普通のできごと、つまり世界の普遍性を普通に撮っているのだ。前作と本作を比較してどちらが好きかと問われると、やはり前作と答えると思うが、映画としてはこちらの方が優れている。ホ・ジノはまだ2本しか撮っていない発展途上(©イチロー)の監督である。
#87「宮本武蔵 般若坂の決斗」内田吐夢/1962/東映/Nov. 2/新文芸坐
宮本武蔵』シリーズ第2作。冒頭、タケゾウがムサシになる。『一乗寺』でもそうだったが、今回の般若坂でも、錦ちゃんが走り回る華麗でいて残酷な殺陣が見られる。これだよ、武蔵は。山本麟一が豪傑役で暴れていたが、あっさり武蔵に殺され、やや可哀想。月形龍之介が渋い役で出ていた。ところで入江若葉とは何者だ? 何がよくてこんなのを起用しているのだろう? あれがいなければこのシリーズは最高なのだが…。次の『二刀流開眼』は平日なので観られそうにない。無念である。文芸坐さんには上映スケジュールをもう少し考えていただきたい。
#86「城市飛行」黄銘正/2000/台湾/Oct. 29/渋東シネタワー3(TIFF)
船で密航して来た男とパラグライダー(?)乗り(本職はタクシー運転手)とラジコン飛行機を飛ばす檳榔売りとバイク便青年と交通量調査娘と凧好きの浮浪少年が、総統選挙戦真っただ中の台北で絡んでいく。社会面と娯楽面がほどよくミックスされた佳作である。もし眠い状態でこの映画を観たら混乱状態に陥ってしまうだろう。ほとんど説明もなく、密航者とパラグライダー乗りがそっくりなのだ。この監督には是非長編を撮ってもらいたい。檳榔売りに誘われて檳榔小姐になってしまう交通量調査娘がなんとなく王菲に似ていて、よかったぞ。上映後、夜も更けたのでのQ&Aセッションをパスして帰った。明日、お勤めだからね。
#85「トゥー・ヤング」黄銘正/1997/台湾/Oct. 29/渋東シネタワー3(TIFF)
4年前の作品とは信じられないほどレトロな空気。16mmだしね。おとなしい少年がクラスのひねくれ者になんとなく惹かれて友達になるという一種の紋切ストーリーだが、二人をつなぐのが死に対するお互いのポジションの違い。少年がこれを乗り越え大人になっていくイニシエーションがメインテーマの、どことなくほろ苦い味の小品。すずめの死骸は鈴木清順へのオマージュか?(なわけないだろ。ナンバーワンは俺だ。←しつこい。ちょっと前回を引きずってます。)
#84「ピストルオペラ」鈴木清順/2001/小椋企画/Oct. 29/渋谷シネパレス
清順じいさんの待ちに待った新作は、この人がこの人として認められる記号をすべて出すよういわれて、そいじゃ出しますよ、とスクリーン上にぶちまけた印象。新しいことは何もない。ただ、記憶の活性化作業あるのみ。それなりに楽しめたけども、これが限界かな。平幹二朗の役は、本来はやはり宍戸錠が演るべきでしょう。江角マキコはかっこよかったけど。上映前に鄭秀文と劉徳華のコメディの予告篇がかかったが、あれの最後のナレーションに比較すれば、本作役者陣の科白の恥ずかしさはたいしたことはない。
#83「週末の出来事」章明/2001/中国/Oct. 29/オーチャードホール(TIFF)
沈む街』の章明の新作がコンペに出品。引き続き長江のほとりの話で、この三峡ダムに近い街は、相変わらず陰鬱な印象だ。いまは北京に住む女性が友人数人を連れて故郷に帰り、かつての恋人と再会する。彼女は新しい男友達が、彼には鬼嫁と息子がそれぞれおり、二人の距離が縮まることはいささかも許されない。一枚の紙切れが引き起こすたわいもない動揺を横目に、河は淘淘と流れつづける。前作の方が好きだが、河は相変わらずいい。ゲストで来ていた主演女優の張雅琳を上映後に間近で観て、二度満足。
#82「わが愛」五所平之助/1960/松竹/Oct. 28/シアターコクーン(TIFF)
今年の東京国際映画祭はこれから。佐分利信と有馬稲子の不倫もので、ニッポン・シネマ・クラシックの一本である。この二人がそういう関係なのは僕には違和感がある。やっぱり父と娘だよなあ。上映前にゲストとして有馬稲子登場。喋る喋る。インタビュアーの川本三郎氏は楽だったろう。昔の面影はあまりなくて太って見えた上に、喋り方が扇千景に似ているように思えて困った。映画の方は、自分の気持ちにストレートに反応しあとさき考えずに男のもとへ向かう女性を描いた濃いもの、と聞くと『初恋のきた道』なぞ思い浮かべてしまいそうだが、不倫は不倫。人間関係はそんなに単純ではない。(いや、考えてみればこの話もかなり単純だ。) 佐分利が相変わらず“うーん”と唸ったりあいまいな微笑を浮かべたりするのに笑った。いやあ、一向に…。
#81「日本暗黒史 血の抗争」工藤栄一/1967/東映/Oct. 28/フィルムセンター
いわゆる実録物に入る一品。何を考えているのかわからず筋も通さずに突き進む男のストーリーを観ていて思い出したのは北野武の『BROTHER』。つまんなかった。主役は本物やくざの安藤昇なのだが、うーん、彼は背が低くて顔が大きくて、スクリーンの中で凄んでいてもだめなのだ。敵役の安部徹の方がかっこいいよ。安藤の奥さん(?)役で化粧のお化けみたいな女が出てきて、こいつは誰だと思っていたが、後でクレジットに嵯峨三智子の名前があったのを思い出した。11年でこんなに変わり果てるものか。
#80「宮本武蔵」内田吐夢/1961/東映/Oct. 28/新文芸坐
新しくなった文芸坐には初めてやって来た。内田吐夢特集で宮本武蔵シリーズ全五作がかかるのだ。まずは第一作。残念ながら日程の都合で錦ちゃんと健さんの決闘は今回観られそうになく、これはまたの機会にしよう。関ヶ原の戦い残党の錦ちゃんは大暴れして生き生きしてたが、大暴れで負けていなかったのがおばばを演じる浪花千栄子である。憎たらしいことこの上なし。他のキャストはお通が入江若葉で、朱実が丘さとみ。木暮実千代が朱実の母役でこちらの版にも出演。沢庵の三國連太郎もあちらの版にも出ているらしい。ややこしいことだ。
#79「エスター・カーン めざめの時」アルノー・デプレシャン/2000/仏=英/Oct. 25/シャンテ・シネ1★
そして僕は恋をする』のデプレシャン、待望の新作。なぜこのロンドンが舞台の題材を選んだのかは知らないけれど、気難しい女優エスターの恋は、寒色系の画調で激しくも静かでどことなく洒落た描写。手持ちキャメラで移動、ズームまであるのが当世っぽいが、カットのつなぎ方が作るリズムが絶妙で、観ていてとても気持ちいい魔法の映画である。賈樟柯とともにいち押し。平日の夕方でガラガラの劇場内、僕の右後方におっさん(?)がやってきて、スーパー袋をくしゃくしゃやるような音を立て続け、あげくに足を前(つまり僕と同じ列)の背もたれに放り出してた。上映が終わったら睨みつけてやろうと思ったのに、こういう輩はクレジットロールが始まるとさっさと出ていってしまうのであった。
#78「決闘巌流島」稲垣浩/1956/東宝/Oct. 20/船堀シネパル
モーニングショウ1,000円均一なれど、船堀までの交通費はバカにならない。それでも観に行ったのは、前作の続きが気になったからだ。あの鶴田浩二版佐々木小次郎の活躍や如何に。映画としてのできはいまひとつだったが、それは迷える三船敏郎版宮本武蔵ゆえ、致し方なかろう。あ、山田五十鈴が出てると思ったら、娘の嵯峨三智子でした。似てますね、やはり。田中春男が馬喰で出てきて武蔵の弟子になったと思ったら、あっさり殺されてかわいそう。さあ、次はいよいよ健さん版佐々木小次郎と錦ちゃん版宮本武蔵の決闘を観なければなるまい。こっちは期待してます。
#77「日本列島」熊井啓/1965/日活/Oct. 13/フィルムセンター
『帝銀事件・死刑囚』をデビュー作とし、近作『日本の黒い夏-冤罪-』まで一貫して危ない社会問題を取り扱っている熊井啓の第2作。はっきりいうと芦川いづみが目当てで観に行ったのだが、チラシにあった“ベストテン第3位”は伊達ではなく、面白かった。ある米軍将校の変死を捜査するうちに陸軍登戸研究所〜キャノン機関を脈とする巨悪にぶつかり虚しく散っていく男を、宇野重吉があいかわらずクールに演じる。原作があるようだが、事実にもとづいているのだろうか? 下山事件なども実名で出てくるし、ありそうな話だ。日本はアメリカの属国とはよくいったもの。いづみさまは小学校の先生。『洲崎パラダイス』から9年たっているのに変わらないなあ。
#76「雪の断章 情熱」相米慎二/1985/東宝/Oct. 13/ラピュタ阿佐ケ谷
ラピュタの相米慎二追悼特集に行ってきた。冒頭からタイトルまでの時空を越える1カットが長い長い。いきなり相米である。ただ、この長いシーンを撮るためにキャメラがやたらと揺れるのがいただけない。1シーン1カットの王者・ミゾケンならクレーンに固定したキャメラで滑らかな空間移動を見せるのだが…、予算の関係か? 中身は斉藤由貴主演のアイドル映画で、ファンタジックなところが大林宣彦なんか連想させたりして、居心地が悪かった。それに加えて、斉藤由貴が川を泳ぐときの笠置シヅ子『買物ブギ』。なんだろう? とどめはラストの『忠臣蔵』。なにかしら? なんにしろ、ご冥福を。
#75「洲崎パラダイス 赤信号」川島雄三/1956/日活/Oct. 13/ラピュタ阿佐ケ谷
81分。この理想的な上映時間に、せっぱ詰まった男女が洲崎パラダイスという“彼岸”手前で踏みとどまる、文字にすると重くなりそうな人間模様をさらっと描く。気に入りました。『忘れられぬ人々』の三橋達也がこの男なのだが、なんだかはっきりしない役だ。(青木富夫もちょろっと登場) 女は新珠三千代。あんなのだめだい。やっぱ、芦川いづみさまだよね。今回はそば屋の“たまちゃん”だもんね。薄汚れた白い上っ張り着てます。彼女の出演作は103もあるみたいだ。ざっと数えたら、ビデオを入れてもまだ1/4くらいしか観てない。目指すぞ全作制覇。
#74「日本女侠伝 侠客芸者」山下耕作/1969/東映京都/Oct. 6/フィルムセンター
女侠で藤純子主演なら、彼女中心に話が展開する博徒ものかなんかだろうと想像するが、さにあらず。どうみても健さんが主役の『昭和残侠伝』系の話である。藤純子は健さんを慕う芸者だ。陸軍大臣役で若山富三郎が出てくるのが異色。悪役は、またあんたか、金子信雄である。金子は健さんの炭坑を奪おうと画策する炭坑王で、手下のやくざ親分は遠藤辰雄。最後に健さんが殴り込みに行ったとき(ほらやはり『残侠伝』だ)に、守るべき金子を楯にしていたのを見たぞ。しようのない奴だ。そうそう、またまたしょぼい役で徳大寺伸が出ていた。戦前はあんなに羽振りがよかったのに、まるで『男たちの挽歌』の周潤發みたいだな。そのうち爆発するか? 頑張れ、徳大寺。
#73「博徒列伝」小沢茂弘/1968/東映京都/Oct. 6/フィルムセンター
鶴田浩二主演、オールスター(藤純子、若山富三郎、高倉健、菅原文太)出演のお正月映画。いい役のみならず悪役もオールスターで、鶴田の若勇組の縄張である芝浦を荒らす金光組組長に、東映の悪役ならこの人、天津敏。今回も徹底してワルである。このように、東映任侠ものは正義の味方役と悪役がはっきりしていて、配役によってすぐにこいつは悪い役かどうかわかるのだが、たまに例外的に中途半端なのがいる。鶴田の兄貴分を演じた大木実もそんなひとりだ。だいたいにおいて味方なのだが、途中で裏切ったりする。今回もそのパターン。天津の兄貴分・河津清三郎になびいて、忠実な鶴田を破門してしまい、結局は河津・天津に騙され殺される。しゃんとせい、しゃんと。金光組はみんな変なやつで、天津が山男みたいな格好で妙だと思ったら、汐路章がマドロスの格好(ボーダーTシャツに赤いスカーフ)してて、もっとおかしかった。
#72「人間の條件 第五部・第六部」小林正樹/1961/文芸プロ=にんじんくらぶ/Sep. 30/ラピュタ阿佐ケ谷
やっと見ごたえを感じるようになってきた。第五部・第六部ではソ連軍・八路軍からの決死の逃避行。奥さんのところに帰りたい一心で、ひたすら荒野や山奥を南に向かって歩く。もう平気で人が殺せる。自分が生き延びるためである。悪役に真打ち・金子信雄と二本柳寛登場。収容所でいばるいばる。やれやれー。さあ、はたして仲代は奥さんのところへ帰ることができるのか。女優は岸田今日子に中村玉緒に高峰秀子だ。客はさらに減ったが、斜め後方に座ったおっさんがぼくの横の席に臭い足を投げ出して観ていたのに頭にきた。でもこないだフィルムセンターで、足を投げ出したおっさん(このおっさんとは別人)をどなった人がいて、おっさんが悪態をついて出ていった後、“殺す”とかなんとか書かれた馬券購入申込用紙が散乱していたことを思い出して、ぐっと我慢した。
#71「人間の條件 第三部・第四部」小林正樹/1959/人間プロ/Sep. 30/ラピュタ阿佐ケ谷
少し客が減ったかな。もっとも、初回だって20人くらいだったけど。うるさかったおばさん二人組もいなくなった。軍隊に入ってからの話は第三部・第四部。ここでも仲代は古年兵に歯向かい睨まれる。陸軍病院の看護婦さんは岩崎加根子。『一乗寺の決斗』で吉野太夫を演っていた人だ。なかなかいいなあ。え゛、『絵の中のぼくの村』にも出てるのか。おばあさんになってからの顔はよく知らないぞ。第一作の冒頭に主人公の友人として出てきた佐田啓二が少尉になって戻ってきた。主人公は、ソ連国境の前線に行き戦車部隊に玉砕されるも、命拾い。(佐田啓二は死んじゃった。)第一作ではヒューマニズムの権化みたいだったが、少しずつ生身の人間になってきた。
#70「人間の條件 第一部・第二部」小林正樹/1959/にんじんくらぶ=歌舞伎座映画/Sep. 30/ラピュタ阿佐ケ谷
日曜にお昼の12時から夜の10時まで映画館にこもるというのは精神的に負担が大きい。こんなこといい出す奴は一歩前へ出て歯を食いしばれ。おまけに帰りは雨降りだし。うちにはビデオもあるんだぞ。まあなんだかんだいっても、出かけた奴が悪いのだ。第一部から第六部まであるのだが、第四部まではあまり面白くない。テーマはいまでこそ紋切だが興味深いものなのに描写が甘い。大豪華出演陣の各人の出番を確保するためなのか、やたら長い時間を持て余したものなのか。主役は仲代達矢で、その愛妻を演じるのは東宝の新珠三千代。淡島千景と有馬稲子は慰安婦で熱演だ。第一部・第二部は、南満洲鉄鋼株式会社(これも満鉄だな)なる国策会社で働く、ちょっぴり赤っぽい仲代が老虎嶺なる鉄鋼山の労務管理担当者になり、無能な三島雅夫所長や、いやらしい三井弘次所員や、下品な小澤榮太郎班長や、蛇のような安部徹憲兵に、よせばいいのに立ち向かうお話。案の定、はめられて赤紙が来る。
#69「網走番外地 大雪原の対決」石井輝男/1966/東映/Sep. 22/フィルムセンター
『網走番外地』はいままでに第一作と『南国の対決』しか観ていないかな。本作のヒロインも『南国』と同じ大原麗子。やっぱり若くてかわいいぞ。話は、北海道で石油を掘っているじいさんから利権を奪おうとするやくざ(上田吉二郎と内田良平)を高倉健、吉田輝雄、嵐寛寿郎が撃退するもので、プロットはともかく映像は雪国の西部劇といった風情だ。東映任侠路線の一角であるにもかかわらず、このシリーズは石井輝男の演出でかなり異質なコメディに仕上がっている。もちろん(?)グロな面も。ところで、わが家で徐々に注目度を上げてきた吉田輝雄は本作でもかっこよく、現在最もホットな存在。(^^) 新東宝→松竹→東映と流れていった役者で出演作も多く芸域も広いので、研究すると面白そうである。
#68「宮本武蔵 一乗寺の決斗」内田吐夢/1964/東映京都/Sep. 22/ラピュタ阿佐ケ谷
7年ぶりに観た錦ちゃん版『一乗寺』。カラーだったっけ。前回の記憶はクライマックスの決闘シーンだけ。それは確かにモノクロームだったので、映画が始まって“作品を間違えたか?”と焦ってしまった。ミフネ版よりこっちがいいな。決闘シーンをカラーじゃなくしたのは大成功だ。意外だったのは、徳大寺伸が出ていたこと。なんだか太って、残念ながらその登場に笑えなかった。あまりセリフもないし。東映に出るようになった後年は不遇だったのだろうか? それはさておき、第一〜三作と第五作も観なくてはいかんな。浪花千栄子と、高倉健演じる佐々木小次郎の活躍を拝むには。鶴田浩二といい、健さんといい、佐々木小次郎をやるにはあんなに派手にしなきゃいけないんだな。わはは。
#67「忘れられぬ人々」篠崎誠/2000/ビターズ・エンド=タキ・コーポレーション/Sep. 22/テアトル新宿
三橋達也にはあまり縁がないのだが、大木実と青木富夫はもう何度スクリーンでお目にかかったかわからない。実際はともかく、この三人が映画に出てくれるというので、それぞれの往年の姿を思い浮かべながら嬉々として三人のキャラクターを作って、それで自己満足で終わるとまずいので老人を食い物にする霊感商法という社会問題を絡めた脚本で映画にした、という印象の作品。チラッと“在日”という問題も出てきますが、あまりにもチラッとで監督の真意がいかなるものか?だったので、それは保留した上で大変楽しませていただきました。三橋達也が霊感商法会社に殴り込みをかけに行くとき、大木実が待っていて一緒に出かけるとこは、誰が見ても東映のアレですが、大木実も一度は健さんの横に並びたかったんだろうな。青木《突貫小僧》富夫は演技下手だけど、存在するだけで楽しいです。悪徳霊感商法会社の社長は篠田三郎。どうもこの人が悪役というのは僕らの世代には馴染めないなあ。
#66「縄張(シマ)はもらった」長谷川安春/1968/日活/Sep. 15/ラピュタ阿佐ケ谷★
小林旭のやくざもの。といっても『関東無宿』でも、『仁義なき戦い』シリーズの系譜でもなく、『渡り鳥』シリーズの後日談のような印象。『レザボア・ドッグス』や『ザ・ミッション 非情の掟』のごとく、契約によって集まったくせのある男たちが、ある地方都市の縄張を獲得するプロジェクトに参加する。何人かの犠牲の結果目的は達成するが、お決まりの上部組織の裏切りがこれを待つ。残った男たちは捨て身の殴り込みへ。アキラを取り巻くのは、宍戸錠・郷エイ治兄弟に、川地民夫、藤竜也ほか。宍戸錠は最初やはりアキラを復讐のためにつけ狙う殺し屋で、この辺が、いかに本人が太ってドスもきいているとはいえ渡り鳥を強く連想させるのだろう。この監督特有のきれいごとのない画面は、渡り鳥なんかとはまったく異質のものだが。きれいといえば、太田雅子時代の梶芽衣子が出ている。彼女はきれいだぞ。
#65「ラスト・ホリディ」アミール・カラクーロフ/1996/カザフスタン/Sep. 15/三百人劇場
現役自衛官・佐野伸寿プロデュース第一回作品。誰でも『動くな、死ね、甦れ!』と比較したくなるであろう、生き急ぐ少年3人の悲しい物語である。この作品には躍動感のようなものはなく、抑圧され、酒とマリファナにしかはけ口のない生活が絶望的に描かれる。こういう筋の映画ってよくある。撮っていて楽しいとは思えないし興行的にも不利だと思うが、これが世界の現実なのか、このような思い入れのある監督が世界にたくさんいるらしい。少年のひとりはどう見ても韓国の若者にしか見えなかったが、やっぱりカザフ人なんだろうな。1996年作品にしては状態がよくなかった。セピアっぽい画調も低予算作品ということが影響しているのか? 三百人劇場はほんの3ヶ月ぶりだったが、今回はいやに椅子の座り心地が悪く感じた。
#64「アクスアット」セリック・アプリモフ/1999/カザフスタン=日/Sep. 15/三百人劇場
3人兄弟』のプロデューサー・佐野伸寿が、同じアプリモフ監督と組んだ第一作。核実験と羊毛の村・アクスアットは監督の故郷らしい。一見のどかそうなこの村はボスに牛耳られ、彼の不満を買うことは村では生きていけないことを意味する。ボスの下でうまく立ちふるまってきた男のところに、疫病神の玉置浩二似の弟が女を連れて帰ってくる。この女の存在が男の立場をどんどん悪くしていく。最初と最後に流れる歌の奇妙な旋律が映画全体のリズムを作り、不思議な味わいのドラマに仕上がっていると思う。キャメラの視点は誰からも距離をおいてあくまで冷たい。カザフ語で“こんにちは”は“サラム”なのだな。イランに文化的にも近いということか。
#63「日本暗殺秘録」中島貞夫/1969/東映京都/Sep. 8/フィルムセンター
高倉健,鶴田浩二,藤純子,若山富三郎,待田京介。ふんふん任侠スター総出演だな。菅原文太,千葉真一,小池朝雄,川谷拓三。実録路線方面の方々も。片岡千恵蔵,里見浩太朗。チャンバラか。田宮二郎,吉田輝雄,北竜二。なんじゃこりゃ? というわけでどんな映画ができあがるのか興味津々であったが、観ているうちに頭痛がしてきた。東映のウヨな面が爆発した怪作である。2.26事件のパートなんて処刑される反乱将校達にいちいち“テンノウヘイカバンザーイ”を叫ばせる。そんな狂気の中、若山富三郎、健さん、吉田輝雄の暗殺者ぶりはかっこよくて、まあ唯三の収穫というところか。そうそう、暗殺者のひとりに現社民党代議士の横光《紅林刑事》克彦がいたぞ。ギロチン社なんてもの作って国家転覆を企んでいたらしい。公安に睨まれますよ。それにしても、こんな映画でフィルムセンターは満員。憂国である。
#62「路地へ 中上健次の残したフィルム」青山真治/2000/スローラーナー/Sep. 8/ユーロスペース1
『パンダ・アドベンチャー』に未練をみせるパンダ・ゴロ、それに対して『キス・オブ・ザ・ドラゴン』を推す僕だったが、結局これを観ることに決定。残念ながら中上作品は一編しか読んだことがないので、この選択は青山真治の撮るドキュメンタリーに興味が出たからといえる。前半は井土紀州という映像作家(申し訳ないが存じ上げない)がひたすら“路地”を目指して車を走らせる姿を、あるときは同じ車で、あるときは違う車で追う。車は果たして過去に路地のあった町にたどり着く。ここからは実際に中上健次が撮ったフィルムを挿入しながら現在の町の様子に中上のこころを探すのだ。中上の墓前にキャメラは移動し、青山と井土の中上への静かなレクイエムは幕を閉じる。うーん、これはやはり中上ファンが観ないと…。なんとかいう“これより先に道はない”町に寄り道したとき、半分廃虚のような町の中心部から左にゆっくりパンした先に突然海が見えたときは、純粋にその映像に感動した。
#61「大幹部 無頼」小沢啓一/1968/日活/Sep. 1/フィルムセンター
芦川いづみ女優生活晩年の作品である。地方廻りのダンサーから横浜の娼婦に落ちぶれるという汚れ役だが、主役の“人斬り五郎”渡哲也に助けられたり助けたりする、脇ながら“いい”役だ。(まあ、彼女が悪役になることはあり得ないが。) 横浜ではヒモがいて、これがなんと田中邦衛。お笑いである。芦川いづみにウィスキーを勧めるのに、グラスに無造作に注ぎカウンターを滑らせるというハードボイルドもしくはウエスタンな場面があって、吹き出しそうになってしまった。似合わない、似合わない。渡哲也が内田良平と水路の中で殺し合うクライマックスシーンはなかなかの迫力なのに、バレーボールをする女子高生(?)をフラッシュバックさせるのはやめてもらいたいものだ。“アタック”のひっかけか? まさかね。単なる監督の趣味だろな。
#60「続 宮本武蔵 一乗寺の決闘」稲垣浩/1955/東宝/Sep. 1/シブヤ・シネマ・ソサエティ
以前京都映画祭で錦ちゃん版を観たのだが、きょうのはミフネ版。京都では決闘シーン以外はほとんど寝ていたし、本作の前編は観ていないし、宮本武蔵のこともよく知らないので登場人物のいわくがよくわからなかったが、たいして鑑賞の支障にはならなかった。ただ、プリントはボロボロで退色が激しく、とても戦後の作品とは思えなかった。佐々木小次郎(これくらいは知っている)を鶴田浩二が演じている。変な化粧に派手な衣装で、とても浪人には見えないな。武蔵を匿う太夫は木暮実千代。なんだか藤原紀香という人に似ている気がした。演出について書くのを忘れていたが、娯楽作品とはいえ、あまりに深みがないように思う。三船敏郎って、動物的だからな。悩んでいる演技が、あんなに似合わない人も珍しい。
#59「サヨンの鐘」清水宏/1943/満州映画協会=台湾総督府=松竹/Aug. 26/BOX東中野
ともだち』の併映はこれ。残念なことにビデオ上映。劇場に着くまでそれがわからないのは詐欺とでも呼べそうなものだが、まあ以前観ているし今回のメインはあくまで『ともだち』なので大目にみよう。李香蘭を、占領下台湾のいわゆる“蛮社”に住む溌剌で皇民化に従順、そして戦地に赴く先生(清水作品常連の近衛敏明)を見送って濁流に飲まれて死ぬという、被統治者の理想形として提示する。李香蘭の演技はいまひとつだが、取り囲む子供たちは(あいかわらず)すばらしい。そうそう、李香蘭の女友達・ナミナは『』で日守新一の“ねえお前”の“お前”を演じていた三村秀子ですね。発見、発見。
#58「ともだち」清水宏/1940/大日本文化映画/Aug. 26/BOX東中野★
この10分あまりのサイレントフィルムを観るために、はるばる鎌倉から1時間半もかけて東中野まで来るなんて、我ながら酔狂なことである。しかし、ことは清水宏に関わること。“日曜日くらい家でごろーんとしてたい”なんて云ってはおれないのだ。小津に突貫小僧がいたように、清水には爆弾小僧がいる。この占領下朝鮮で撮られた小品でも彼が主役だ。内地から朝鮮に引っ越した爆弾小僧が朝鮮人の子供と友達になるという、清水ファンなら期待せずにはおれないあらすじ、そして期待を決して裏切らない出来。しあわせである。おっと、撮影があの厚田雄春(当時は雄治)であることを見逃しちゃいけない。固定ショットだけで進行、清水なのに移動がないのだ。
#57「反則王」キム・ジウン/2000/韓国/Aug. 25/シネ・ラ・セット
たまにはこういう脳天気に笑えそうな映画が観たい、と予告篇を見ながら思った。前売券が売り切れていて当日券1,800円也を渋々支払って観てみれば、意外にも演出が光った作品で、そこで初めて監督の名前を確認したのであった。『クワイエット・ファミリー』の人なのか。機会があればそちらも観てみたい。僕はプロレスは見ないが、ルールなどは知っている。おばあちゃんがサンダー杉山のファンで、子供のころはよくテレビで中継を見ていたからだ。まあプロレスを知っていようが知っていまいが、関係なく楽しめる一品には違いない。それにしても笑ったなあ。
#56「愛の渇き」蔵原惟繕/1967/日活/Aug. 25/フィルムセンター
読んで楽しい文章の正体は魅力的な文体である。その意味で僕は漱石、三島、村上春樹、そして金子光晴の散文が好きだ。(とてもミーハーなラインアップではあるが、しかたがない。) 本作は三島の同名小説の映画化。NFCカレンダーの説明によれば、スタイリッシュな映像なんだそうである。僕にいわせれば、三島文学の冒涜に近い。前総長の記述によればトリュフォーも観たそうだが、さぞがっかりしたことだろう。会社からは“難解”といわれて蔵原は日活を後にしたそうだ。それで『キタキツネ物語』なんて撮るようになっちゃうわけね。悦子を演じる浅丘ルリ子は、67年でもまだ化粧が普通だ。三郎役はなんと石立鉄男でこれがめっぽう若く、最初誰だかわからなかった。『小早川家の秋』のメロディが流れてきてびっくりしたが、なるほど音楽が黛敏郎だった。
#55「キシュ島の物語」ナセール・タグヴァイ,アボルファズル・ジャリリ,モフセン・マフマルバフ/1999/イラン/Aug. 18/シネ・アミューズ
映画を映画館で観るのは実にひと月以上ぶりだ。こんなことが年に1度や2度ある。お盆休みは、定番の小津LDを観たり(まったく飽きない)、買い込んだ『仁義なき戦い』シリーズ(全5作)や張藝謀2枚組(『あの子を探して』と『初恋のきた道』)や『ヤンヤン 夏の想い出』(台湾旅行の復習)DVDを観たり、はたまたスカパーで『釈迦』(これはトホホ映画)を観たりした。あー、大きな画面が欲しい。テレビを買い替えたい…。というのもひとつの希望だが、映画はやはりスクリーンで観たい。さて本作はオムニバス形式。イラン南部のペルシャ湾に浮かぶキシュ島というところを舞台にして、クセのある監督3人3様の物語が展開する。それぞれ20分あまりしかないので、映画としてのできは推して知るべしだが、絵のきれいさは特筆ものである。特にマフマルバフの『ドア』の、水色の空と白い砂漠の砂とチョコレート色の肌がつくるおしゃれな画面がよかったな。
#54「コタンの口笛」成瀬巳喜男/1959/東宝/Jul. 14/ラピュタ阿佐ケ谷
最近北海道で“日本は単一民族国家”とかウソをいった政治家がいますね。困ったものだ。本作はアイヌ差別を正面から扱ったもの。部落(コタン)に父親と貧しいながらも楽しく暮らす姉弟を中心に、突然被る理由なき差別に対する若者の抵抗、老いた者の諦観、平等主義者を自認している和人(シャモというらしい)の矛盾をするどく描写する。おそらく原作(石森延男)も素晴らしいのだろうが、ナルセの淡々とした演出が必要以上の感情の高まりを抑え、冷静な視点を維持させるのだと思う。客席にはひとりだけ激高した怖いおじさんがいた。もっともその理由はアイヌ差別に対する肯定でも否定でもなく、隣のおばさんがよく喋ることに対してであったようにみえたが。ところで、冒頭に延々と各地教育委員会等の推薦が表示されていたが、スコープ作品でも学校などを巡回上映とかできたのかな?(この頃はどんな小さな町にも映画館があったのかもしれない。)
#53「夏至」トラン・アン・ユン/2000/仏=ヴェトナム/Jul. 14/ル・シネマ★
この作品はこれまでのもの(『青いパパイヤの香り』,『シクロ』)と違う。何が違うかというと、あの人工的とまでいえるような瑞々しい音と光をもつ映像が大きく脇役に廻った。登場人物がよく喋り、暑さが感じられない。別に非難しているのではない。寒色系を基調とする画面のコーディネートは相変わらずセンスがいいし、舞台がハノイなのだからサイゴンほど暑くないのも自然なことだろう。それに今回は3人の女性(姉妹)の関係がメイン。お喋りしなくては始まらないのだ。皆まだ若いはずなのに、諦念を感じさせる穏やかな人生。これがヴェトナムでは普通、なんてことはないだろうね。三女を演じるトラン・ヌー・イェン・ケーは、今回ひとりでくねくね踊ったりしているが、誰かに似てるなあ。(誰だろう。誰かしら。)
#52「こころの湯」張楊/1999/中国/Jul. 7/シャンテ・シネ2
スパイシー・ラブスープ』の監督がまたまた大衆受けを狙ったほのぼの人情ものに手を出した。話は紋切りだし、演出もいまひとつ。それでもこういうテーマだと客は集まるし、そこそこ評判にもなるものだ。朱旭と濮存[日斤]という現代中国電影ではトップグループの2俳優はもちろん貫録だし、姜文の弟らしい姜武も頑張っている。舞台は北京の銭湯・清水池(日本風にいえば“清水湯”か)。まだ中国の銭湯には入ったことがないけれど、映画で見るかぎり日本のものとそんなに変わらないようだ。しかし、かなりコミュニケーション入りそうなので、よそ者には居心地悪そう。とにかく、こういう作品はずるい。観に行くと決めた段階で、もう負けである。スクリーンを眺めて、笑ったりしみじみしたりするしかない。シャンテはしばらく行かないうちに、シネコン式観劇回予約制になっていた。このシステムは便利だけど、事前にそうと知らず直前に行くとつらい。ぴあはそういう情報を載せるべきだ。
#51「赤いハンカチ」舛田利雄/1964/日活/Jul. 7/フィルムセンター★
ムードアクションの最高作。出演陣はいつもの日活アクションのそれなのだが、それぞれの演技が違う。浅丘ルリ子の無邪気な少女から憂いのある夫人への変貌とか、金子信雄の渋い刑事ぶりとか、無口な川地民夫とか、二谷英明の悪党ぶりとか。美術も無国籍アクションとは違って、バーなんかにもリアリティがある。大胆なキャメラワークは、メロメロなプロットによくマッチしていたし、ムードアクションもなかなかいいじゃないか。主役が石原裕次郎しかいないのが不満といえば不満ではあるけれど、さすがに小林旭を出してダンチョネ節唄わせるわけにもいかないしね。ロケで横浜ニューグランドホテル登場。こちらも渋い。
#50「乙女ごころ三人姉妹」成瀬巳喜男/1935/P.C.L.映画製作所/Jun. 30/ラピュタ阿佐ケ谷
ナルセのPCL移籍後第一作にして初のトーキー。(女が唄って踊るのをトーキーっていうんだろうよ。あれ?違ったかな。) 原作は川端康成の『浅草の姉妹』だそうだ。(『有りがたうさん』も川端原作ね。) 三姉妹の次女が後の二人を幸せにするために犠牲になる悲しい物語である。読んだかどうだか、映画を観た後でも思い出せないのが情けない。原作の通り舞台は浅草。震災後かつ大戦前のにぎやかな様子が興味深い。松屋の屋上には自己完結なロープウェイがあったのか。ノリは観覧車みたいなものだろうか。若い三島雅夫がチンピラ役で出てきたが、やっぱりあんな喋り方だったな。
#49「クレーヴの奥方」マノエル・ド・オリヴェイラ/1999/葡=仏=西/Jun. 23/銀座テアトルシネマ
92歳だそうだ、すごいなあ。日本でも鈴木清順が『ピストルオペラ』を撮っているけど。(早く観たいな。) このじいさんの映画は僕には鬼門で、これで寝ない記録もストップかと思っていましたが、なんとか最後まで生きてました。クレーヴ夫人を演じる主役はあのマルチェロ・マストロヤンニとあのカトリーヌ・ドヌーヴの娘で、顔が濃くて、勘弁してって感じです。キャメラをほとんど動かさない(動かしても構図は変わらない)落ち着いた画面はさすがじいさんってとこですか。4人が“こちら”にあるテレビを観ながら会話するシーンがよかったな。
#48「日蓮と蒙古大襲来」渡辺邦男/1958/大映京都/Jun. 23/ラピュタ阿佐ケ谷
冒頭に“史実から飛躍し自由に創造した物語である”と字幕が出る。自由主義史観か? とにかく怪しい映画である。怪しそうであるがゆえに、ひとつ観てやろうという気が起きた。長谷川一夫が日蓮を演じている。脇役も市川雷蔵(北条時宗だ)や勝新太郎など、やたらと豪華。話は題名の通りで、法華経至上主義を唱え比叡山を追放された日蓮が鎌倉で立正安国論を記し、腐った世の中では異国の来襲で日本が滅びる、これを救うのは自分しかいない、みんなお題目を唱えろ、とゴーマンかます。幕府はもちろん迫害を加えるのだが、そのうちに本当に元が攻めてきて、日蓮が“南無妙法蓮華経”と唱えれば大嵐が巻き起こり元軍は全滅し、みんな日蓮を崇め奉る。“神風”とは実は坊さんが起こしたものだったのか。あー、疲れた。
#47「弥太郎笠」マキノ雅弘/1960/東映京都/Jun. 17/フィルムセンター
最近よく東映京都作品を観るなあ。またまた中村錦之助に丘さとみである。でもこれはおなじみのマキノ作品。いかにものメロドラマ演出は先が読めるため安心して観ていられる。話がぽんぽん飛びすぎる気もしたけれど。コメディリリーフに千秋実が出ているのが異色か? 最期は3人殺しただけで死んじゃってかわいそうでした。(終始笑われ者の田中春男はもっとかわいそうか。) 錦ちゃんはいつもにやにやしているわりに、相変わらず強いです。
#46「流転の王妃」田中絹代/1960/大映/Jun. 17/フィルムセンター
ラストエンペラー溥儀の弟である溥傑に関東軍の策略で嫁いだ日本女性の波乱万丈の半生を大女優・田中絹代が演出。この人物の存在は知っていたが、彼女の視点による書籍等は読んだことがなかったので、そういう意味で興味深く観させてもらった。主演は京マチ子、溥傑(映画では溥哲)に船越英二。いかにも大映らしい配役で、僕の趣味に合わない。しかし、そんなささいなことよりも問題に思うのは、視点が日本人に偏りすぎていて、満州人・日本人=被害者、人民解放軍=悪者という図式がはっきりと押し出されていることだ。自分の都合の悪いことには触れないという“つくる会”みたいなやり方は残念、田中監督。
#45「飢餓海峡」内田吐夢/1965/東映/Jun. 10/フィルムセンター★★
本作をいままで観ていなかったのは例によって上映時間の問題である。183分。うーん、長すぎる。ごくたまにテレビでもやっているが、この長さが録画を躊躇させ(SPで入らない)、断片を数回リアルタイムで観ただけだった。今回全編を通しで観るために重い腰をあげたわけだが、相当観応えがあった。3時間、観る者を画面に釘付けにする傑作である。左幸子は、キャラクター的に『暖流』とそっくりだった。ちょいと太ってたけど。健さんは刑事には見えないなあ、やっぱりやくざっぽい。ところで、東映W一〇六方式というのは何だ?東映スコープとどこが違うのだ?
#44「本日休診」渋谷実/1952/松竹/Jun. 10/ラピュタ阿佐ケ谷
このころの大船といえば小津と渋谷実に代表されるそうだが、僕は戦後の渋谷作品を映画館で観たことはない。と思う。本日初診というわけだ。さすが大船調を背負って立つ巨匠だけあって、使っている俳優陣がすごい(鶴田浩二,岸恵子,佐田啓二,中村伸郎,淡島千景,長岡輝子などなど)のだが、中身はなんともトホホな印象しかもてなかった。ただし、フィルムに盛り込まれている当時の風俗は非常に興味深いもの。戦後7年の庶民の生活である。その点では貴重な作品といってもいいかもしれない。
#43「暴れん坊兄弟」沢島忠/1960/東映京都/Jun. 2/三百人劇場
出張とかも絡んで、沢島忠特集で僕が観たのは本作一本限り。いわゆる痛快娯楽時代劇であり、観ていてむちゃくちゃ楽しい。ただし、この楽しさは『水戸黄門』のそれとは少し違う。演出が変なのだ。他作品ももう少し観ておけばよかったかもしれない。“兄弟”という題名と、中村錦之助+中村賀津雄という配役からして、てっきりこの二人が主役かと思ったら、兄弟を演じるのは東千代之介と中村賀津雄で、錦之助は大名役での特別出演。やはり当時から賀津雄と錦之助とは格が違ったということか。でも、本作での弟の顔や演技は兄そっくりに見えた。同じ路線を狙ってもだめだということがその後でわかったんだろうな。この作品にも丘さとみが出ていたので、彼女を春川ますみと間違えることはもう一生ないだろう。
#42「昭和侠客伝」石井輝男/1963/東映東京/Jun. 2/フィルムセンター
任侠ものの題名といえば、{明治|昭和}+{侠客|残侠|女侠}+伝てな感じで考えられる(なぜか大正はない)のだが、プログラムピクチャー化する最初期の作品らしい本作の題名もその範疇にある。監督が石井輝男というのが怪しいが、鶴田浩二主演でアラカンが親分という正統なキャスト。加えて、大木実、山本麟一、待田京介という東映任侠ものの常連。キャメラワークなどに石井っぽいところがあるが、話もまあまっとうなものだ。梅宮辰夫、三井弘次、平幹二朗という配役は確かに異色。女優陣は三田佳子、丘さとみ。僕は丘さとみが認識できていなくて、ずっとそれが春川ますみだと思っていた。このころは痩せてたんだなあ、と感心していたのに。
#41「殺しの烙印」鈴木清順/1967/日活/Jun. 1/テアトル新宿
男前の殺し屋は香水の匂いがした♪ 本作の主題歌は僕の愛唱歌である。鈴木清順が日活を追い出される引きがねとなったこの問題作は『陽炎座』と同様に10年前の清順ブームで観たもの。その後、テレビでやったのをビデオに録ってあって、何度も観ようとしたのだが、いつも半分くらいで寝てしまっていた。映画館で観ると寝ないのだなあ。やっぱりシネスコ(日活スコープ)は映画館で観なくちゃね。真理アンヌのすね毛なんて、24型テレビじゃ見えないもんね。(見えない方が幸せ、という話もある。)モノクロームの代々木体育館やまだ建設中の霞が関ビルがハードボイルドな雰囲気を盛り上げているのに、宍戸錠は“飯を炊け”。やっぱり支離滅裂な映画だ。
#40「北京」亀井文夫/1937/東宝映画/May 26/アテネ・フランセ文化センター
プリントはアメリカで発見されたものらしい。全6巻のうち最初の1巻が欠落しているが、観られるだけ幸せというもの。おそらく1巻目には北京の概要と故宮の紹介があったはずだ。現在の北京では歴史的遺産の修復が進んでいてどこも観光地化されているが、清朝が滅んで辛亥革命後軍閥同士の争いが絶えない上に日本の侵略が進んだこの時期、スクリーン上に写されるそういう場所はどこも荒れ放題である。その一方で、大柵欄街などの庶民の街は今と変わらずすごい繁華ぶり。このドキュメンタリーには、北京風物の紹介というほかに、日本の“進出”によっていかにこの街が平和であるかを示すという目的があったようだ。はたして当時どれほどの効果があったものやら。
#39「上海ドキュメント」ヤコフ・ブリオフ/1928/ソ連/May 26/アテネ・フランセ文化センター
魔都上海の様子を、ブルジョアジー(英仏や中国人資産階級)とプロレタリアート(中国人労働者)の軋轢の構図として捉え追った、ソ連産の興味深いドキュメンタリー。租界における西欧のブルジョア達の歓楽の様子を正面から撮っているのだが、被写体にはそれが革命の国からの撮影隊だという意識はないようである。これらを、悲惨な状況下で生きる中国人低所得者の様子と交互に見せていって効果的。クライマックスとなる1927年に起きたストライキ時の様子は無残である。道端に首のないまま転がっている死体。ライフルで処刑される反乱者…。外灘にはこの時期、まだサッスーンハウスが建っておらず、街並みの迫力がいまひとつに感じた。また、場所柄か、日本人の姿がなかったのに少し違和感。ゴロゴロいたんじゃないのかなあ。
#38「カメラを持った男」ジガ・ヴェルトフ/1929/ソ連/May 26/アテネ・フランセ文化センター
“字幕なしで世界共通の映画言語を創出する”という目的が冒頭に示されたあとは、映像がひたすら続く。もちろんサイレントである。映画中に劇場が登場しそこの観客が観る映画を我々も観るという構造や、繰り返されるモンタージュがいかにも実験的。確かに、字幕やセリフがなくてもスクリーン上で何が起っているかはわかるが、文化的バックグラウンドの差異というものがあるかぎり、世界共通の理解というものは得られないだろう。ところで、サイレントはやっぱり疲れる。サイレントなんだから少しくらい物音をたてたり話をしたりしても鑑賞の妨げにはならないと思うのだけれど、みんなすごく気を使っているようで。夕食前の時間帯、お腹が鳴りそうになるのを抑えるのは大変である。
#37「青年の椅子」西河克己/1962/日活/May 26/フィルムセンター
百恵・友和コンビもの(僕は一本も観たことがない)の監督として有名な西河克己による石原裕次郎・芦川いづみコンビもの。このコンビ主演作は目立たないながらも結構本数があるが、だいたいどれも石原裕次郎がストレートな正義漢、芦川いづみはどちらかというとしっかりおねえさんタイプで、本作もその基本を抑えている。《世界一のなで肩女優》いづみさまは漢字タイピストで水色のスモックをご着用だ。日活俳優陣に、滝沢修・宇野重吉・東野英治郎らの渋い役者を加え、ワンパターンストーリーでもなかなか見どころがある。東野英治郎の酔っ払いはあいかわらず秀逸。『東京物語』や『秋刀魚の味』で見せたような哀愁はないが、もちろんそれはそんなものが不要なキャラクターだからないのだ。
#36「陽炎座」鈴木清順/1981/シネマ・プラセット/May 12/シネセゾン渋谷
今年は10年ぶりの鈴木清順ブームだ。10年前のときは怒濤のように観たっけ。本作品もやはりそのころ観ているが、大楠道代の妖しい姿以外、ほとんど中身は忘れていた。今回観てみると、希薄なストーリーと規則のないロケーション、清順美学大爆発の怪作で、まさに“かげろう”のごとく記憶から消え去るのも道理である。伊藤弘子とか江角英明(本作では江角英)とか、日活時代の俳優がちょこちょこ出ているのを見かけて嬉しかった。上映後はリリー・フランキーをホストとした大楠道代とのトークショー。大楠道代はつい最近『』で見ているので20年のギャップというものはないが、エッセイでしか知らないリリー・フランキーはわりと普通そうで少しびっくり(がっかり?)した。
#35「ふたりの人魚」婁[火華]/2000/中国=独=日本/May 12/テアトル池袋
北京旅游を挟んで、ほぼひと月ぶりの映画である。上海の旧イギリス租界と旧日本租界を隔てる蘇州河が舞台(原題)で、なにやら行方不明になって人魚になる少女とか、彼女そっくりの少女が現れるとか、それくらいあやしい予備知識しかなく出かけた。蘇州河といえば、何年か前に訪れたとき、そこを走る無数の船の姿には心惹かれるものがあったけれども、水だけを見るかぎりは、汚いものであった。映画の中のこの河もお世辞にもきれいそうには見えなかったが、やはりフォトジェニックだ。最初は一人称の語り口に虫酸が走りそうになったが、馬達が出てきて画面に幅ができてからは、よくなった。
#34「十字路」沈西苓/1937/中国/Apr. 15/フィルムセンター
上海ブルース』の元ネタらしい。鍾鎭濤=趙丹、張艾嘉=白楊という対応づけである。もちろん舞台は上海なのだが、タイトルバックに摩天楼群が出てきた以外はラストシーンで再び外灘に戻ってくるまで、黄浦江から離れたところでストーリーが展開する。かなり脚色されているとしても、当時の上海における下〜中流都市生活者の生活ぶりが偲ばれて興味深い。若き日の趙丹は森雅之にそっくり、白楊も手塚理美になんとなく似ていて、そういう面でも楽しい作品だった。
#33「慈母曲」朱石麟,羅明佑/1937/中国/Apr. 15/フィルムセンター
この頃の上海映画は北京語がわかりやすくて僕なんかにはちょうどよい。本作品は、なんだか話が『戸田家の兄妹』みたいだと思ったら、これも『オーバー・ゼ・ヒル』(ハリー・ミラード/1920/米)からのイタダキらしい。というわけで、親孝行の息子が、とことん親不孝な他の兄弟をとっちめる話である。あまりに兄弟の親不孝ぶりとその仕返しが念のいっている描写なので、親孝行息子の三男に心を寄せているらしい姑娘(陳燕燕)の扱いが軽すぎる。かと思えば、3人で長男の家に押しかけるとき、全員の足並みをぴったり合わせるなどの細やかさもあり、なんだか中途半端だ。久しぶりに日曜日に東京に出てきたけれど、日曜ってどこも空いてるんですね。
#32「壮志凌雲」呉永剛/1936/中国/Apr. 13/フィルムセンター
辛亥革命が起こり、袁世凱が大総統だった時代。戦乱と天災の黄河流域から逃れた父娘と途中で拾われた男の子は、他の難民と北の辺境に村を作る。十数年後、村は発展し、娘と息子は立派な若者に成長した。美男美女の仲良し兄妹は村の人気者で、それぞれに結婚の話が持ち上がる。しかし、父は2人を一緒にさせてやりたいと思い、血が繋がっていないことを何度も言い出そうとするのだが、いつも邪魔が入る(この辺はギャグだ)。そんな中、敵が突然攻めてくる。息子は村人の先頭に立ち、防戦する。味方はどんどんやられていく。義父も死に(結局最期まで秘密は打ち明けられない)、妹も死に、それでも息子は徹底抗戦を叫び続ける。とまあ、そういうあらすじだ。交戦時に青天白日旗を掲げることから、“敵”は北方の軍閥(張作霖?)と思われるが、もちろん、本作のメッセージは抗日である。次の年には盧溝橋事件が起きる。息子を演じる金焔は、今回は原田大二郎に見えたぞ。娘はその頃の影后だったらしい王人美。一曲だけ唄うのだが、それがなかなかよかった。
#31「母性の光」卜萬蒼/1933/中国/Apr. 7/フィルムセンター
チラシによるとパートトーキーということだったので聶耳の音楽が聞けると思っていたら、無声。いままで寝ずに頑張ってきたのに、試練である。サイレントでの居眠り率は高いのだ。でも、労働者とブルジョアの対決を織りまぜた二代にわたる母性愛の物語は、上海〜南洋(マレーシア?)を舞台にして面白かったので寝ずに済んだ。南洋から帰ってきてドーランを塗りたくった金焔が赤井英和そっくりだったな。フィルムが紛失してしまっているのか最後が尻切れトンボだったのは残念。会場は空いていた。バンツマと(本作には出ていないけど)阮玲玉とを比較したら日本では前者の方が人気には違いないが、やはり4月からシニア250円というのが効いているらしい。そんな状況下、いままでの常連のひとり・コンビニ袋をさげたじいさんは、来ていた。ということは映画ファンなのだな。少しだけみなおした。
#30「ブラックボード 背負う人」サミラ・マフマルバフ/2000/イラン/Mar. 31/テアトル池袋
確か北野オフィスの資本が入っていたと思う。監督の父親モフセン・マフマルバフが市山氏に“娘のためにお金出しとくれよぉ”とねだったに違いない。少しだけ期待していたのだが、日本でお馴染みのイラン映画界巨匠たちの作品と横並びにできる作品ではやはりなかった。20歳で第二作だからしかたがない。物語は、黒板を背負ってイラクとの国境付近を廻る移動教員(資格の有無は不明)2人と、密輸物資を運ぶ子供たち、故郷へ帰るイラク難民との関わりを描いたもの。一般に期待されるような暖かいコミュニケーションは、微かに一瞬認められるだけだ。ニュースなどではなかなか知ることのできない庶民レベルでのイラ・イラ間の溝の深さを感じさせるラストシークェンスが心に残る。
#29「花様年華」王家衛/2000/香港/Mar. 31/ル・シネマ1★
仕事の都合で去年の東京国際映画祭では見逃した3年ぶりの新作である。張叔平の美術・衣装を筆頭に、監督の選曲(『夢二』のテーマなど)、'60年代の香港を再現するバンコクの街角、李屏賓の影響大と思われるゆっくり動くキャメラ、そして主演2人の抑えた、目、表情、仕草、身ぶりによる演技。王家衛的世界は円熟期のまっただ中だ。僕が王家衛作品に好感をもつ理由の筆頭は、往年の日活などのプログラムピクチャーを思わせる短さに、無造作な(天才的というべきか?)進行とカッティングなのだが、ここまで完璧ならばやはり繊細な編集が欲しい。ひと月やそこらで仕上げる作品ではないのだから。張曼玉、『イルマ・ヴェップ』でも認識したけれど、チャイナドレスを着るとスタイルの良さがよりひき立ちますね。これこそが『欲望の翼』の続編だという説が有力のようですが、梁朝偉はギャンブラーじゃなかったぞ。
#28「お馬は七十七萬石」安田公義/1944/大映/Mar. 24/フィルムセンター
この時局に意外とプロパガンダ色が薄く、人情物に近い内容。クライマックスでのオランダ人との競馬シーンは大迫力で活劇要素もある。なわけでなかなか面白かったのだが、シナリオ(稲垣浩)は最後がしり切れトンボだなあ。主人公の恋の結末がわからないのでは、観客は納得しないぞ。もしかして検閲カットかな? 上映時に巻の順番間違いがあって、少し白けた。お詫びの招待状くれよお。これで、本年度のフィルムセンターはおしまい。来年度最初は中国映画特集だ。ついにじいさん、ばあさんもタダでなくなり(シニア料金250円也)、客層の変化が楽しみである。
#27「小太刀を使ふ女」丸根賛太郎/1944/大映/Mar. 24/フィルムセンター
水谷八重子(初代)が西南戦争時代を舞台に、銃後の女たちがどうあるべきかを大衆に教えるプロパガンダ映画。女もお国のために無我の境地で戦わにゃいかんぞ、というわけである。義妹で諭され役(つまり大衆の代表)に若き日の月丘夢路。残念なことに、いいとこで巻がなくなってしまい、結末がわからない。それで申し訳ないってんで2本立て(『お馬は七十七萬石』と併映)にしたのかな?
#26「狼火は上海に揚る」稲垣浩,岳楓/1944/大映=中華電影/Mar. 24/フィルムセンター
バンツマ演じる高杉晋作が太平天国の乱で揺れる上海へ。なるほど、これが中華電影作品か。(大映との合作だが。) 外灘は映らなかったけど、ロケが嬉しい。上海なのに北京語喋ってるのはご愛嬌として、後半ではバンツマも月形龍之介もその北京語を喋るのだー。すごひ。話の中身は、中華電影設立の趣旨に基づき、英国(+米国)がいかに卑劣かを中国人に諭すものだが、じゃああんた達(日本のことです)はどうなんだ?と画面に向かって叫びたくなるのは僕だけではないはずだ。彼らは“アジア人はアジア人同士”なんてもっともらしいことを言って、結局やったことは西洋人以上に酷かったわけで…以下省略。
#25「姿三四郎[国内版]・[ゴス版]」黒澤明/1943/東宝/Mar. 23/フィルムセンター
姿三四郎』を観るのは2度目。現存版(すなわち今回でいう[国内版])は大量のカットが施され、その部分に字幕による説明が入っている。今回発見された[ゴス版]には、このカットされた部分があるということだったので期待したわけだが、確かにそういう部分もあるのだが、全体として欠落が多々あり鑑賞に耐えうる状態とは思えなかった。かろうじて[国内版]を併映してくれたおかげでつながりがわかる具合である。それでも、高堂國典や菅井一郎の活躍(?)場面が新たに見られたわけで、やはり収穫はあったといわねばなるまい。轟夕起子を巡って決闘する藤田進と月形龍之介。彼女がその後ぶくぶく太ることを知ってか知らずか。
#24「鍔鳴浪人・續 鍔鳴浪人」荒井良平/1939-40/日活京都/Mar. 20/フィルムセンター
エンターテイメントを看板に国粋主義を堂々と謳っているのがいやらしい。時は幕末、老中による売国行為を防ごうとする一介の浪人の物語。浪人を演ずるは阪東妻三郎、いわゆるバンツマ映画である。脇に澤村国太郎(きょうのは本物だ)と市川春代。日本の鉄道敷設権と鉱山の採掘権という、日本が満洲で奪ったような利権を狙うロシア人を志村喬が演じていて、変な日本語を喋る。フィルムセンターの客の2/3はじいさんだが、今回はことのほか“語り合う”じいさんが多かった。若い頃から映画小僧だったのだろう、むちゃくちゃ物知りである。その記憶力に感心する。上映中に喋ったりいびきをかいたりするのだけはやめて欲しいが。観客にT-MARKの市山さんを見かけた。
#23「北極光」田中重雄/1941/新興キネマ/Mar. 20/フィルムセンター
本作品によれば、樺太は“日本固有の領土”だったらしい。固有とはいかなる意味で、固有だったら何なんだ、と思うが、僕はここで領土問題に深入りするつもりはない。樺太に鉄道を敷く男たち、それを取り巻く女たちの物語である。鉄橋崩落事故はミニチュアを使っているが、なかなかリアルで感心した。樺太は、満洲と同じようにいわゆる食詰め者が行き着くところだったようだ。寒い街にはわい雑な居酒屋がよく似合う。現地ロケが貴重。それと、浦辺粂子に安部徹(JMDBでも引っかからないが確かに見た)の顔があった。どちらも若いぞ。
#22「をぢさん」澁谷実,原研吉/1943/松竹/Mar. 17/フィルムセンター
本作の主役は河村黎吉。役者である。うまい。江戸っ子だ。映画はこのおせっかいな“をぢさん”を中心とした、典型的といってよい大船調である。飯田蝶子との息もいい。高峰三枝子と上原謙のピンナップを使ったギャグなど、最高である。が、ここで本作の真の主役を紹介しておきたい。桑野通子さまである。本作では(戦争?)未亡人。いつも着物で上品に喋る姿は、『淑女は何を忘れたか』などで見せるモダンガールぶりとは一味違う魅力で、いやあきょうは実にいい日でした。次は『恋も忘れて』が観たいな。清水宏だし。
#21「維新子守唄」星哲六/1940/松竹/Mar. 17/フィルムセンター
最初の方の巻が紛失しており、どういう成り行きかは想像するしかないが、討幕派の侍の子供を割烹の娘が預かったために起る騒動を描いた人情喜劇。京都撮影所作品なので、出てくる俳優もよく知らない人ばかりだ。(あ、でも『百万両の壺』の柳生源三郎がその侍役だったような気がする。あれは日活だが…調べたらやはり別人らしい。そりゃそうか。) 侍はつかまってしまったが、子供はどうやら所司代の養子にもらわれていく気配。めでたし、めでたし。
#20「お絹と番頭」野村浩将/1940/松竹/Mar. 17/フィルムセンター
田中絹代と上原謙の『愛染かつら』コンビ(監督も入れればトリオ)、僕にいわせれば“大根コンビ”による、なかなか楽しい小喜劇。脇を藤野秀夫、斎藤達雄、河村黎吉らが固め、若い三宅邦子も出てくる。銀座の足袋屋が舞台で、柳が繁る銀座の街並みが見られて興味深い。平和だなあ。とても戦争をやっている国には見えない。フィルムセンターのパンフレットによれば、本作品のプリントは国内に残っていなかったはずだが、最近出版された太田和彦氏の『黄金座の物語』に出てくる。同書の巻末の記述によれば、どうやら松竹からビデオが出ている様子。どういうこと?
#19「父ありき[ゴス版]」小津安二郎/1942/松竹/Mar. 10/フィルムセンター★★
日本に残る本作品のプリントは音声がひどくセリフを聞き取るのが大変で、とにかく画面に目と耳を集中させて疲れるものだった。しかも戦中に製作された本作品は、製作時には映画検閲室の検閲を受け、敗戦後はGHQの検閲を受けており、カットされてボロボロなのだ。今回ロシアから帰ってきたのは、うれしいことに音声が比較的良好の上、GHQ検閲前のもの。メインは同窓会で詩吟『正気歌』(かなり危ない内容)を唸る笠智衆である。プリントの破損がひどくて頻繁に飛ぶ画面ではあったが、初めて観るシーンに目は釘付けだった。また観たい。それにしても、観客の多さに根強い小津人気を改めて実感。DVDのニーズは高いぞ。(『おづ漬の味』のニーズは…?)
#18「」内田吐夢/1939/日活/Mar. 10/フィルムセンター★
こないだから東京国立近代美術館フィルムセンターでは“発掘された映画たち2001:ロシア・ゴスフィルモフォンドで発見された日本映画”という素晴らしい企画をやっている。なにしろ、映画に対するスタンスが最悪のこの国では特に戦前作品の保存状態がむちゃくちゃで、ネガはもちろんプリントまで散逸し、残っているプリントもボロボロのことが多々ある。今回の特集は、旧ソ連に残っていたものが返還されて実現したのだ。残念なことに、この作品は最後の巻がなく結末がわからないが、それでもよしとしなくては。贅沢をいやあキリがない。母親を亡くした水呑み百姓一家を支える少女・おつぎを演じるは風見章子。若い。
#17「大東亜戦争」大島渚/1968/?/Mar. 3/アテネ・フランセ文化センター
帝国軍とアメリカ軍双方が撮った記録フィルムを集め編集した太平洋戦争のドキュメンタリー。★とは違う意味でまったく凄い作品である。大島が監督なので中立とはいかないが、淡々と冷徹に日本が敗戦に向かう様を見せる。神風特別攻撃隊の米艦に突撃する様子を延々と流すのが圧巻。何分続いたろう? このフィルムを見て思うことは人それぞれだろうが、僕は国全体が狂っていたこんな時代は二度と来て欲しくない。そうそう、あの山下中将(のち大将)の実物が出てきたけど、そっくりだったのにびっくり。
#16「小林一茶」亀井文夫/1941/東宝文化映画部/Mar. 1/アテネ・フランセ文化センター
長野県のPRフィルムなんだそうである。でも、これ見て長野に出かける人がいるだろうか? 確かに“おらが春”の花の咲き乱れる様や狭い谷に連なる棚田には圧倒されるが、観光的な魅力を訴えるのはそれくらいである。ただし、これはフィルムそのものに吸引力がないことを意味しない。厳しい環境と、そこに耐えて暮らす住民を淡々と写しとる、これは亀井作品である。
#15「戦ふ兵隊」亀井文夫/1939/東宝文化映画部/Mar. 1/アテネ・フランセ文化センター★
以前観ていたことに、始まってから気づいた。ちょいと情けなかったが、優れた作品は何度観ても損はないと思い直した。平日なのに客席はほぼ満員。当然である。燃える街を見詰める老人の顔のアップがよい。本作品は武漢作戦のドキュメンタリーということに一応なっていて、最後に武漢に入城する。この長江に面した城市の印象が『ルアンの歌』で見た武漢と共鳴した。もちろん街並みはすっかり変わっているのだけれども。
#14「異邦人たち」關錦鵬/2000/日本=香港/Feb. 24/渋谷シネパレス
タガが外れたような、実験的かつセクシュアルな作品。伝染病に汚染され隔離された小島という舞台に登場人物は7人だけ。自分も感染してしまうかもしれない恐怖を裏に、それぞれに孤独な7人が関わりあい、ラリった一夜を過ごす。英語、日本語、北京語、広東語が入り乱れ、ストップモーションを多用しズタズタになったフィルム。大沢たかおの何とも気持ち悪いモノローグ。(彼は小説家で“春樹”という名前。猫にアイマックという名前を付けているマックユーザ。わはは。) 初日で会場はガラガラ。観に行ったのは夕方だったのに、入場時にまだぴあ探検隊がいたもんなあ。よぽど人が入っていないのだろう。女性客を呼べる明星も出ていないし、1週間で打ち切りだね。大丈夫か、關錦鵬?
#13「意志の勝利」レニ・リーフェンシュタール/1935/独/Feb. 24/アテネ・フランセ文化センター
このナチス御用達監督は、もともと『新しき土』で有名なアーノルド・ファンクの作品等に出演していた女優ということだが、堂々としたプロパガンダ映画を撮っている。本作品はその中で最も有名なもののひとつ。1934年ナチス党大会のドキュメンタリーである。大会のために、全国から首脳が、大勢の党員・兵士が集まってくる。それを迎える街のざわめき。当日の行進はど迫力。これらを俯瞰、仰角、移動、航空撮影等を駆使して捉える。そしてゲッベルスやヒトラーらによる演説。その興奮ぶりは狂気の沙汰で、字幕がなく、かつドイツ語はひと言もわからないにもかかわらず、当時のファシズム昂揚の雰囲気が十二分に伝わってきた。2時間近くもあっていささか疲れたが。
#12「ルポタージュ 炎」黒木和雄/1960/岩波映画製作所/Feb. 10/フィルムセンター
横須賀火力発電所の建設は続く。しり切れトンボで終わった前作には、ちゃんと続編があったのだ。なにやら炎をバックに踊る男女の影から始まる、前衛性を増した演出である。前回造成された土地に着々と巨大な炉や100mもある煙突、タービン、変電所などが建設され、集中管理センターに向かって無数の配線がなされる。そして、火入れ式。建設に携わった技師や鳶がこれを見守る。(なかには何の仕事をしていたのか不明のおばさんもいる。やらせか?) 炉がゴウゴウと燃え始め煙突は白い煙を吐き、タービンが廻り始める。こうして首都圏のネオンはギラギラ輝きを増すのであった。
#11「海壁」黒木和雄/1959/岩波映画製作所/Feb. 10/フィルムセンター
こちらは東京電力の依頼を受け製作された横須賀火力発電所建設の記録フィルム。いきなり東京湾の底から映像が始まるなど、オーソドックスな構成の前作と比較してやや前衛的な匂い。旧日本軍の要塞がある山をダイナマイトでぶっ放す。同じく旧日本軍が作った防波堤を利用して、その内側を、ぶっ放した土を使って埋め立てていく。水がなくなった海底の岩盤を基礎にコンクリートが流し込まれる。物質文明の頂点に向かって突進する日本の姿がここに集約される。と思ったら、建設の途中でこのフィルムはおしまい。あれ? これじゃ消化不良だ。
#10「東芝の電気車輌」黒木和雄/1958/岩波映画製作所/Feb. 10/フィルムセンター
東芝が岩波映画に頼んで作ってもらったらしい電気車輌宣伝フィルム。レアである。府中にある工場内で部品から一貫生産される電気機関車。アルゼンチンやインドに輸出される電車。超まじめなナレーションをはじめとして色合いにも懐かさを感じる画面がなかなか楽しかった。いまさらながら重電には感心しますね。なんであんな大きなものを、あんなに沢山の部品を順序よく組み立ててきちんと製作することができるのか。しかも時速ン十キロで走るんですよ、それが。コンピュータの前に座っているのが仕事の者には魔法を見ているような思いです。ところで、工場内で働く人々はノーヘルに素手で作業していました。危険ですねえ。
#9「若者のすべて」ルキノ・ヴィスコンティ/1960/伊=仏/Feb. 10/三百人劇場★
南の田舎から母親とミラノにやって来た5人兄弟それぞれの生き方を順に追っていく。この5人がそれぞれ異なる個性を持っていて物語としてとても都合がよい。“こんなに性格がうまいこと違う兄弟なんかいるわけないじゃないか”と思ってみたが、現実世界を振り返れば、果たして兄弟というものは全く性格を異にすることが確かに多い。何故そうなるのか興味深い。どこかに研究結果はないものか。また、イタリアン・ファミリーのつながりは中国のそれに通じるものがあると思う。食べ物の美味いのと深い連関があるのかもしれない。こちらの研究も面白そうだ。
#8「はなればなれに」ジャン=リュック・ゴダール/1964/仏/Feb. 3/銀座テアトルシネマ★★
男二人に女の子一人、ゴダールの語り、ルグランの音楽、そして、アンナ・カリーナ。これぞヌーヴェル・ヴァーグ。カフェでの3人の会話とダンスは至福の時間だ。これ以上、駄文は無用。
#7「EUREKA」青山真治/2000/サンセントシネマワークス=東京テアトル/Feb. 3/テアトル新宿
日本のアンソンギ・役所広司がバスの運転士で、バスジャックに逢って共に生き残った兄妹の家に上がり込み、邪魔な従兄や兄を排除して、最後にかわいい妹を一人占めする話、ではない。えーと、映画は1時間半で終わるべきという持論の僕としては、休憩なしで3時間半を越える本作品など言語道断であり、それゆえに観ていなかったのであるが、先週観た奥さんが“必見”といふでははいか。それじゃあちょいと出かけてやろう、という気になった次第である。通り魔が誰なのか、かなり早めにバレバレになってしまうのがアレだが、なるほど力作であった。ほぼ全編モノクロームにしておいて突然彩色するという、20世紀型映画文法の最後(?)の適用も成功している。江角英明が役所の父親役で出演というおまけ付。
#6「BROTHER」北野武/2000/オフィス北野=松竹=米/Jan. 29/ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい7
日本を追われたヤクザが弟のいるL.A.に死にに行く話。といっても“BROTHER”とはその弟にとっての兄を指すのではなく、極道世界での“アニキ”のことである。ビートたけしはほとんど喋らず、拳銃の撃ち方は(相変わらず)クールだ。暴れ、そして蜂の巣になって死んでいく。みんながヨージヤマモトを着ているのが妙なのと相変わらずうるさい久石穣の音楽が玉に瑕か。ワーナーマイカルに来たのは初めて。清潔だし音響も椅子も悪くない。バターかけポップコーンも売っていてアメリカンなシネコンの雰囲気である。ここまでやるなら出口も前方に付けたらどうだ。日本の建築はどうして入場者と退場者の動線を分けないのだろう? 合理的なのに。
#5「風花」相米慎二/2000/シネカノン/Jan. 27/シネ・アミューズEAST★
相米作品はちょうど2年ぶりかな。引き続き季節は春である。ピンサロ嬢の小泉今日子と、酒癖から文部省をクビになったばかりの浅野忠信が、小泉の故郷である北海道に行く。浅野はもとより行くあてがない。子供に会いに行った小泉も母親に追い帰されて生きる希望をなくし、二人はだだっ広い北海道を車で走り雪山へ。北海道のレンタカーはサーモンピンクなのか? 二人とも演技が自然で好感が持てる。中でも浅野の酔っ払い演技は秀逸。アドリブをがんがん入れていると予想されるが、キョンキョンも本気で笑っていたぞ。雪の中の長廻しも大変だ。あれでテストを何回もやらされるとしたら気が狂いそう。
#4「シベリア超特急2」MIKE MIZNO/2000/アルゴ・ピクチャーズ=水野晴郎事務所/Jan. 27/銀座シネパトス3
映画の反則技を使っても誰にも叱られないのがこの人、MIKE MIZNO(はづかしいなあ)である。前作(観た記憶はあるが記録がないのでスカパーだったか)よりも少し映画らしくはなったが、本作でもどんでん返しを3回も使っている。それにしてもトホホな山下大将の演技。まあこんな雪の中でもやって来る観客はそれを楽しみに来ていて、定員81名にもかかわらず半分も埋まっていない館内は笑いで一杯だった。ギャグでなく笑いたい人にはお勧めである。1,500円(当日券なら1,800円)出す価値があるかどうかは人それぞれだろうが、僕としては淡島千景も出ていたことだし元は取ったと思うことにした。エンディングに“山下大将はシベリア超特急3で帰ってきます”と出て、駄目押しの爆笑。まだ撮るの?
#3「クリムゾン・リバー」マチュー・カソヴィッツ/2000/仏/Jan. 27/日比谷スカラ座1
一昔前まではフランス映画といえば決まってリシャール・ボーランジェかジャン=ユーグ・アングラード(何でアングラーじゃないの?)が出ていたが、近年はこの人、ジャン・レノである。ついに、贔屓にしているカソヴィッツ作品にも登場。今回はたくさん予算があるらしく、スターの出演もだが撮影のスケールもでかい。犯罪ものの内容に触れるのは、ほとんど読者はいないと思われるとはいえ検索エンジンにもひっかかることだし控えるべきところだが、これだけは書きたい。こういうオチが一番がっかりするんだよな。夢オチと並ぶ反則だと思うぞ。トーンは相変わらずハードで好ましいが、★は今回あげられない。
#2「ドラゴンへの道」李小龍/1973/香港/Jan. 20/シアターアプル
本作の舞台はローマ。『怒りの鉄拳』に引き続き李小龍の相手役は苗可秀。(引き続きといえば、楳図かずおもまたまた通訳役で出演。) 彼女が経営する中華料理店をマフィアから守る筋書きで、李小龍自身が監督している。おとなしくアクションだけやっていればいいものを、ギャグ演出のトホホなこと。…なんていっていると、全世界数千万人(?)の李小龍ファンにヌンチャクを喰らいそうなのでこれくらいにしておこう。最後は空手世界チャンピオンのチャック・ノリスとコロッセウムで対決。昔はあんな史跡でアクションもののロケができたのか。(いまだってできるのかもしれないが。)
#1「ドラゴン怒りの鉄拳」羅維/1972/香港/Jan. 20/シアターアプル
本作の原題は『精武門』。いわゆる国辱映画※の範疇に入るためなのかなかなか日本で上映されない。今回GAGA主催の“ドラゴン復活祭2001”なる、2本上映してマウスパッドを付けるだけで3,500円も取るイベントに出向いてやっと観ることができた。舞台は上海共同租界にある精武館(中国武術)と虹口道場(柔道)の抗争を描いたもので、李小龍が高倉健ほどに我慢強くなく、どんどん日本人達と通訳(こいつが楳図かずおそっくり)を例のナルシスティックなクンフーでやっつけていく。精武館は実在する。こないだ上海に行ったときに覗いてきたが、名前は“精武体育會”に変っていた。建物もだいぶ映画とは違うようだった。
※ストリップが一番凄かったな。あれ見て“さすが大日本帝国は踊りも世界一”とのたまう楳図かずお…。

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Last update: 11/24/2003

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