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2012年に観た映画の一覧です

今年の目標: まだないよ。

星の見方(以前観たものには付いてません)
★★…生きててよかった。
★…なかなかやるじゃん。
○…観て損はないね。
無印…観なくてもよかったな。
▽…お金を返してください。
凡例
#通し番号「邦題」監督/製作年/製作国/鑑賞日/会場[星]

#78「ギマランイス歴史地区」ペドロ・コスタ,マノエル・ド・オリヴェイラ,アキ・カウリスマキ,ビクトル・エリセ/2012/ポルトガル/Dec. 2/有楽町朝日ホール(FILMeX)○
オムニバス。バラバラなところは『チョンジュ・プロジェクト』と同じだが、こちらは“巨匠”集団。Q&Aに登壇したペドロ・コスタによると当初はJLGもラインナップされていたという。(3Dだったので入れなかったというのが笑える) 構成は、アキ・カウリスマキの『バーテンダー』、ペドロ・コスタの『命の嘆き』、ビクトル・エリセの『割れたガラス』、そしてマノエル・デ・オリヴェイラの『征服者、征服さる』。四者四様で特徴がよく出ている。特にカウリスマキはポルトガルでもカウリスマキ。黙々としかし向上心もあるバーテンダーの孤独と悲しみの描写は、何処の国の空の下でも同じだ。コスタはエレベーターの中での亡霊(?)との対話が中心で、超低コストだった。エリセは廃工場を舞台にそこで働いていた人の思い出インタビュー。らしくていいんだけどもセンチメンタルでやや物足りなし。オリヴェイラのは、ようやくギマランイスでの撮影。なんだかおもしろそうだったんだけど、うとうとしてしまって詳細は記憶していない…。
#77「チョンジュ・プロジェクト2012」ヴィムクティ・ジャヤスンダラ,ラヤ・マーティン,应亮/2012/韓国=スリランカ=フィリピン=中国/Dec. 2/有楽町朝日ホール(FILMeX)○
三作セットでお得、と思っていたら裏切られた。お金だけ与えて好きに撮らせるとろくなことがないことの証明。一本目の『黄色い最期の光』はスリランカのファンタジー。輪廻に関する特殊理論について。監督の子供の頃の記憶を膨らませたって感じ。実写とアニメのハイ、ハイ、ハイ、ハイブリッドッ♪ スリランカものはめずらしいので頑張って観ていたのだけど、結局眠くなった。二本目はフィリピンの『グレート・シネマ・パーティー』。第二次大戦の戦場だった島で繰り広げられるパーティーを延々と記録したもの。映画人の集まりだったらしいけど、誰が誰だかよくわからないし、だらだら続くので、結局眠くなった。そして三本目は、中国の『私には言いたいことがある』。これでようやく目が覚めた。警官を殺した罪で拘束された息子をもつ母親が警察により精神病院に監禁され息子の裁判にも刑務所への面会にも行けず息子はそのまま死刑になってしまったという実際に起こった事件を再現したもの。さすが応亮。一気に元が取れた。
#76「サイの季節」バフマン・ゴバディ/2012/イラク=トルコ/Dec. 2/有楽町朝日ホール(FILMeX)○
イスラム革命時に思想犯として拘束された詩人が解放後生き別れた妻を捜しにイランを出国する。妻に横恋慕していた元運転手で詩人をはめた体制側の男は、卑怯な手で妻をモノにし、いまはイスタンブールに住んでいる。組織の力で妻と妻を奪った男の居所を突き止め、イスタンブールの街をレンタカーで走る詩人。偽造パスポートには国際免許も付いていたのかな? 売春婦たちにタクシー代わりに使われ、一夜を過ごしたそのひとりは実娘だったという、相当重い絶望的なエピソードが続く。彩度を落とした映像が寒々しく、余計に気が滅入る。詩人は実在する人物がモデルというが、これらも実話なんだろうか。妻役にはなぜかモニカ・ベルッチ。監督のお気に入りかな、彼女である必然性が見当たらない。サイというのは骰子(Dice)かと思ったらサイ(Rhino)だった。なぜサイなんだ?と思っていたら、幻想シーンで本当にサイが出てきた。でも意味がわからないのは変わらない。バフマン・ゴバディ、なかなか詩人である。
#75「突然炎のごとく」フランソワ・トリュフォー/1961/仏/Nov. 25/新文芸坐○
四半世紀以上間をおいての再見。レーザーディスクを買ったら第一次大戦の戦闘シーンでエラーになってしまい憤慨した、ジャンヌ・モローの魅力爆発、トリュフォーものでは相当好きな作品。とにかくジャンヌ・モローの奔放なファム・ファタールぶりが素晴らしく、ジュールもジムもメロメロなんである。名曲『つむじ風』の歌声も、その低音が心地よい。いかに彼女を魅力的に撮るかというトリュフォーの演出は、記録フィルムをふんだんに利用した時代背景の説明とは微妙にずれている気はするものの、第一の目的は十分達成していると思うよ。オーストリア人のジュールとフランス人のジムがカフェで出会ってすぐに意気投合して地中海の島まで旅行までしてしまうというのは、現代人からすると想像できないのだけど、映画やテレビや携帯電話などないカフェ社会では普通だったのかもしれないな。そこにジャンヌ・モローみたいな魅力的な女性が都合よく現れるのは普通じゃないだろうけども。
#74「ティエダンのラブソング」郝杰/2012/中国/Nov. 25/有楽町朝日ホール(FILMeX)○
二人台と呼ばれるちょいとエロい大衆演劇をフィーチャーしながら、文革を挟んだ大衆娯楽の変化を描く。二人台は初めて知ったのでとても興味深かったし、それが廃れていくさまも(経験したわけではないが)懐かしい。本作品のヒロインである、美姐とその娘二人の三役をこなした葉蘭は、三者三様の役柄をそつなくこなしていた。20歳代〜の鐵蛋を演じる馮四という人が明らかに歳を二回りくらいサバ読んでいて最初はひいてしまったが、そのすばらしい歌声を聴くとひき込まれいく。母親に憧れ、その娘三人すべてに手をつける鐵蛋は、二人台の世界をそのまま体現しているのだろう。この監督の作品を観るのは初めての気がする。奇をてらったキャメラワークが若い印象で、観ていると疲れる。まあ若いからいろいろ試しているのだろう。徐々に自分のスタイルに収斂していくことを期待したい。葉蘭は監督とともに上映後のQ&Aに登壇。出るのは監督向けばかりで、彼女には一度も質問が飛ばず、かわいそうだった。
#73「三姉妹〜雲南の子」王兵/2012/仏=香港/Nov. 24/有楽町朝日ホール(FILMeX)○
ビザが間に合わなくて会場に来られなかった監督のビデオメッセージが最初に紹介された。母親は過酷な生活から逃亡、父親は町に出稼ぎに行っている家の留守番をする三姉妹を長期に追った長尺ドキュメンタリー。10歳から4歳の子供たちは、長女はともかく次女、三女はそう言われないと女の子とはわからない。比較的肥沃な山間部の農村で、貧しくはあるが食料には困らない環境。主食はじゃがいも。タル・ベーラか。子供たちの服はほとんど着たきりのようで、虱取りに熱心。一方で、靴は結構履き替えていた。長女は小学校に行きながら、おばさんやおじいさんの飼う豚、山羊、馬、鶏といった家畜の世話を手伝っている。この長女、友達がいなさそうなのと咳が続くのが気になった。燃料にする馬糞拾いは子供の役目。平気で手で掴んでいてたくましい。王兵のドキュメンタリーは結婚式や祭がなぜかあるといったTVドキュメンタリーの不自然さがない分起伏もないので観客を選ぶと思うけど、いつも満席なのが不思議。
#72「3人のアンヌ」ホン・サンス/2012/韓国/Nov. 23/有楽町朝日ホール(FILMeX)○
あのイザベル・ユペールを主役に迎えたホン・サンスの新作。舞台はドゥーヴィル辺りかと思ったら韓国国内のモハンという小さな海辺の町。邦題が説明するように、3つの物語のオムニバス形式になっていて、どれもフランス人のアンヌが主人公。『教授とわたし、そして映画』のチョン・ユミが映画のシナリオを考えるという設定で物語が展開する。物語の舞台はすべてモハン、泊まるペンションの従業員はチョン・ユミで、海水浴場で出会うライフガードはユ・ジュンサン。3つの物語の共通項の共鳴を楽しむ、最近のホン・サンス作品によくある構造である。劇中のアンヌの妄想もまた映像化される物語の多重構造は、『次の朝は他人』などよりずっとシンプル。イザベル・ユペールが焼酎をラッパ飲みするのが衝撃的。顔色もまったく変えない。歩き方が変なのは生来なのか? バレエでもやってたのかな?ユ・ジュンサンは簡単にいうと単細胞で、コミカルさを狙っているのだろうけど、やや過剰。即興の歌はうまかったが、本人かどうか不明。
#71「教授とわたし、そして映画」ホン・サンス/2010/韓国/Nov. 10/シネマート新宿○
『Oki's Movie』という英題が示すように、オッキという女性とふたりの男性の関係をオムニバス形式で描いた作品。3人とも映画関係者だ。(例によって)手書きのタイトルで各パートをつないでいくのが、本当にオッキが作ったっぽい。若い方の男・ジングは結局オッキと結婚しているのだけど、最初に出てくる家と最後に出てくる家が同じだったりして、それじゃその家はオッキのものなのかとか、頭の中をいろいろぐるぐる回っていると、王ろじで呑んだビールが効いてきて眠くなったので、これはもう一度どこかでよく観たい。ジングと教授に対するオッキの視線がパラレルになっていて、これが反復性の幸福感を呼んでいると思う。公園で自分を撮影した女性がカメラのブランドを“ナイコン”と呼んだのをばかにするが、アメリカ、少なくとも西海岸ではNikonは“ナイコン”、GODIVAは“ゴダイヴァ”である。しかし、なんで突然怒るかね。公園の女性はともかく、作品の拙さについて怒鳴りつけられるきれいな女学生がかわいそうだ。
#70「次の朝は他人」ホン・サンス/2011/韓国/Nov. 10/シネマート新宿○
『ハハハ』から一転してかなり技巧的な作品。映画を撮っていない(撮れない)監督が主人公であるところは変わらない。村上春樹の“僕”みたいなもんだ。その僕(ユ・ジュンサン)は先輩と“小説”という名のバーに三度通うのだけど、エピソードに微妙なゆらぎを与えて、“同じ”夜を反復してみせている。この辺がとても脳を刺激して気持ちがいい、気持ちがよくて夢のようだ…、そう、この映画は…。“僕”が惹かれるそのバーの若いマダム(元彼女にそっくり)が、(確か途中から)僕を“オッパ”と呼び始めるのが官能的。雪の降る中でのキスシーンは確かにきれいで、ここが敢えてモノクロで仕上げることにしたポイントではなかろうか。ノイズのないモノクロというのは、当たり前のようで何かひっかかるけど。ユ・ジュンサンがまたピアノを弾いていた。これは本人が得意だから?笠智衆の隠し芸みたいなものかな? 映画が撮れない監督を主人公にしているというのは、ホン・サンス自身の経験によるものなのだろうか。
#69「ハハハ」ホン・サンス/2010/韓国/Nov. 10/シネマート新宿○
いつかの出張のときに飛行機で観たが、スクリーンでは初めての鑑賞。映画監督とその先輩が、監督の故郷・統営でのそれぞれのできごとを肴にマッコリを呑む。“それぞれのできごと”とはもちろん女性関係。そしてその女性たちとは、互いにそれと知らず同じ女性たちを指している。女3人+1人(監督の派手なお母さん)、男3人。『男女7人夏物語』なんである。統営は港町で女3人のうちのひとりがムン・ソリ。男優陣では、おなじみのキム・サンギョン(監督)はユニークだが、ユ・ジュンサン(先輩)は時任三郎、キム・ガンウ(先輩の友人)は堀内孝雄って感じ。食べて、呑んで、駄弁って、突然怒ったり、ナンパしてくっついたり離れたり、妙なズームしたりする、いつものホン・サンスである。ただ、評判のフグ・スープを含め、今回は食事が美味しそうには見えなかった。あ、でもスイカは食べたいと思ったな。ホン・サンス作品はクレジットタイトルに(も)お金をかけず、中身同様、気取ってなくていいね。
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#68「ザ・レイド」ギャレス・エバンス/2011/インドネシア/Nov. 4/渋谷シネマライズ○
インドネシア映画といえばガリン・ヌグロホ+αくらいしか知らないが、アクション娯楽映画、しかもシラッドという格闘技が壮絶らしい、ということで観に行ってみた。あるビルの上階にいるやくざのボスを摘発するため強制捜査に入る特殊部隊20名とやくざ組織の対決、これだけである。相手を格闘技で倒しながら上階を目指すところなんかが『死亡の塔』を連想させた。特殊部隊の若き不死身のヒーローと仁義を知らないやくざの中に必ずいる素手で勝負する自己陶酔型格闘家の戦い、ヒーローにはまもなく出産する愛する妻がいて、やくざ組織には実兄がいて、もちろん組織内に裏切り者が出たり、関係なさそうな人が黒幕だったり、とこの手の映画の紋切り満載。その上で、過剰なアクション、暴力、殺人が展開する。疲れるよー。すべて生身アクション。撮影で何人けが人が出ただろうか。ハリウッドでのリメイクが決まっているというが、終わり方からすると続篇がありそうな気配。そっちを観る方がいいんじゃないかな?
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#67「白夜」ロベール・ブレッソン/1971/仏=伊/Nov. 4/ユーロスペース○
大昔にヴィスコンティ版を観て、数年前に小林政広版を観て、今回はこれまで観る機会のなかったブレッソン版。観た後で原作も読んだ。舞台はパリ、橋はポン・ヌフに置き換えられてはいるが、台詞も含めかなり原作に忠実の印象。できればヴィスコンティ版との差異を記したいところなのだけど、二度も観ているくせにまったく内容を憶えていない。というわけで小林政広版との比較を少しだけ。ブレッソン版がドストエフスキー節の唸る男の饒舌は抑え気味なのに対し、小林版では男女二人が結構喋りまくっていて、それがドストエフスキーとは違う日本の現代社会的なテイストで、それにうんざりした(少なくとも、あの作品で初めて見た吉瀬美智子がいきなり嫌いになった)。街中に音楽がうまく配置されているのがよかった。さすがパリ。ところで『白夜』をホン・サンスが撮るのはどうだろう? 舞台は橋じゃなくて居酒屋にして、毎夜ふたりで焼酎呑んでくだを巻く。これは結構イケるんではないかな。
#66「宇宙人王さんとの遭遇」アントニオ・マネッティ,マルコ・マネッティ/2011/伊/Nov. 2/シアターN渋谷○
現れたエイリアンが大人しいので安心してたら騙されて人類滅亡の危機に陥る。これだけならただのB級SF映画。本作を“ただ”でなくしているのは唯一点、エイリアンが北京語を喋ること。“北京語”は“日本語”にも“スワヒリ語”にも、もちろん“イタリア語”にも置き換え可能で、映画としての総体はまったく変わらない。という状況であえて北京語を選択しているのは監督兄弟の気まぐれか悪意か何かのメッセージなのか。ともかく、エイリアンが北京語を喋ることで観る者にエイリアン=中国人、中国人が世界を征服するという連想が働くのは必然である。通訳をするイタリア人女性の北京語はかなりひどい。ネイティブではないはずの王さんに通じるのが不思議。通訳がいない段階でエイリアンが喋る言葉を北京語と認知し、“王さん(Sig. Wang)” という仮名まで付けたのは誰なのかも謎。そもそも地球では北京語が最も多く喋られているというリサーチをしたのなら、ローマに行かなくてもいいはず。この辺りのB級さ加減を適当に愉しむのがよろしいようで。
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#65「老人ホームを飛びだして」張揚/2012/中国/Oct. 27/TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen 2 (TIFF)○
こないだ『桃さんのしあわせ』を観たばかりで、またまた中華系老人ホームもの。欽ちゃんの仮装大賞の中国版に出場しようとする老人集団の奮闘を、主にふたりのじいさんの個人事情を交えて描く。『桃さん』と比較して悪いが、こちらはじいさん2の余命幾ばくもないことがわかってからはベタベタの展開で、最後はお涙頂戴モード。観客席からはすすり泣く声があちこちに。まあ、いいけど。じいさん1の課題は家族(息子)との不仲。これも定番。もちろん和解してハッピーエンドである。じいさんたちの仮装もベタではあったけど、そちらはなかなか面白かった。人間麻雀と三面鏡。実際出場すれば合格しそう。ところでその仮装大賞に出るため、じいさんたちは老人ホームを抜け出し、テレビ局のある天津にバスで向かう。老人ホームは北京にあるんだろうと勝手に思っていたが、モンゴルみたいな草原やアリゾナみたいな荒野を走っていくではないか。老人ホームはどこにあったんだろう? 途中で寄るパオに斯琴高娃がいたよ。
#64「眠れる美女」マルコ・ベロッキオ/2012/伊=仏/Oct. 27/TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen 2 (TIFF)○
イザベル・ユペールが出るというので観に行った。彼女は三人いる“眠れる美女”のひとりではなく、植物人間となった美少女の母親。映画のテーマはカトリックにとってはタブーの非自然死。脳死状態のある女性の安楽死を巡りイタリア国内の世論が二分され国会も混乱した事実を借景し、死・生について考える。脳死状態の人間、あるいは末期ガンで死ぬまで苦しむことが明らかな人が“楽にして”と懇願するような場合、その人の生命維持装置を停止させることは、その瞬間は辛いが本人を含め結果的にはしあわせだと思う。一方、植物人間はどうだろう? 体は動かなくとも五感は働き色々なことを思考しているのかもしれないじゃないか。その人はそれでもしあわせまで感じている、かもしれない。映画には上述の美少女のほか、ヤク中で自殺癖のある生きることに疲れた女と、生の象徴として安楽死反対運動をすっぽかして男に走る女が登場する。イタリア映画だというのにパンダの登場なし。おかしい。
#63「ある学生」ダルジャン・オミルバエフ/2012/カザフスタン/Oct. 27/TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen 6 (TIFF)○
冒頭、監督が監督の役で出てきて夢物語としての映画を肯定するが、本作がその真反対であることに後からほくそ笑む。『罪と罰』の翻案で、舞台は現代のカザフスタンの街。Q&Aでの発言によれば監督の好きな監督はブレッソン。なるほど。本作では、金貸しばあさんはグロッサリーストアのおやじに、ソーニャは娼婦ではなく聾唖者として描かれている。ラスコーリニコフを演じる俳優は暗く社会に不満を持っていそうなところはいいけど、あまり色々考えているようには見えないのはやや残念。自然界の弱肉強食の世界やブッシュ大統領の映像がテレビに流れるのがあざとく感じられた。とはいえ、全体の抑えたトーンは好印象。ラスコーリニコフ(映画での役名は失念)がソーニャ(同じく)に赦しを請う場面まで没入できた。個人が人を殺すことは罪なのに、大勢の人の命を奪う戦争の指導者・責任者に罪はないのか。これは法律の問題ではない。
#62「黒い四角」奥原浩志/2012/日本/Oct. 21/TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen 6 (TIFF)○
日本人監督、二人の日本人俳優が北京で全面的に撮影し、言語も普通話という邦画。そういう時代なんだなあ。3つの時代における日本人男性と中国人女性の恋愛を描いたもので、男女が時代に拘わらず同一ペアというしくみ。この物語構造は珍しくない。“黒い四角”は時間を行き来するためのタイムマシンの入口で、要は暗転の役割だ。絨毯のように空を飛んだり、モノリスのように直立したりするから少々変わってはいるが。男はこの黒い四角あるいは“どこでもドア”からターミネーターのように裸で突然現れる。でも、裸なのはここだけで、他の時代に移動してもちゃんと服を着てるんだ。おかしいではないか。物語全体が日本人女性を同棲相手とする中国人男アーティストの、キャンパスを真っ黒に塗った絵が二万元もすることにショックを受けたが故の妄想あるいは幻想とすれば夢落ちもの不条理で片付くのだが、そこが明確になっていないのがモヤモヤの素だ。幻の列車を待つ幻の男が王宏偉だと気がついた頃には映画も終盤だった。
#61「ホメられないかも」楊瑾/2012/中=韓/Oct. 21/TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen 1 (TIFF)○
黄河に対する特別な想いが感じられる、監督の自叙伝的作品。舞台は山西省の田舎。町の小学校を終えた優等生少年(=監督)が、休みを利用しておばあちゃんに会いに行く途中、劣等生同学(小学校にメンター制度があるとは、やるな、中国の小学校)とその実家に遊びに行く。黄河は細くなり、支流に入る。同学のうちがあるのは、やがてダム建設により沈む村。その村で過ごす数日間。キャベツでサッカーとか、川の石を叩いて魚獲りとか、瑞々しく描かれる。同学の姉という、年上の少女に感じる眩しさ。映画ではアニメーションも多用されているが、こども時代の雰囲気作りに一役買っている。さて、ここで問題です。旅人3人が3人一泊30元の宿で前払いしたが、あとから3人で25元の特別料金になり、宿主が宿泊客に5元返金しろと雇い人に指示する。5元では3で割れないので、雇い人は3人に対しひとり1元ずつ返金し、2元を着服した。つまり、旅人たちが払ったのは9元×3人+2元=29元。残る1元はどこに消えた?
#60「ハンナ・アーレント」マルガレーテ・フォン・トロッタ/2012/独/Oct. 21/TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen 6 (TIFF)○
ハイデッガーの教え子(ひぇー、それだけで格好いい)だったユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントを主人公に、アメリカ亡命後、イスラエルによるナチ裁判を傍聴した彼女の報告が巻き起こした騒動を背景にして、彼女の強さを見せる骨太作品。しっかりとした自分の意見をもち、周囲の非難に屈しない態度が格好いい。彼女の思想についてはよく知らないのでここで云々する気はない。いつか『全体主義の起源』は読んでおきたい。で、この映画がドイツ作品でアメリカ作品ではないことに注目したい。アメリカにおけるユダヤ人の存在は国家を支えるまでに大きいため、イスラエルのやりたい放題にきわめて寛容であり、イスラエルを批判するような映画は作れない。一方、ナチを生んだドイツは、ユダヤ人大量虐殺を猛烈に反省した上で、客観的にこの事実を分析することができるようだ。(極東の国はどうだ?)若い学生時代のシーンはあまり似ていない別の俳優が演じているのだけど、違和感はさほど感じなかったな。
#59「桃さんのしあわせ」許鞍華/2011/中国=香港/Oct. 14/ル・シネマ1○
葉徳嫻をヒロインに迎えた、人生の終わりを静かに見つめる許鞍華作品。テーマは重いが、描き方は軽やかで爽やかで観た者がハッピーになれる。家族はいまみんな海外にいる劉徳華の家に60年もいた召使いの桃さん(葉徳嫻)が脳卒中で倒れる。身寄りのない桃さんだが、ずっと面倒をみてきていまは香港に留まって映画プロデューサーをしている劉徳華の世話で、黄秋生が経営し秦海璐が主任をやっている老人ホームに入る。そこには色んな入居者がいて当然色んなドラマがあるが、桃さんはつねに明るく、劉徳華も頻繁に見舞いにやってくる。が、桃さんの体は徐々に弱っていく。桃さんはおそらく最期まで心底しあわせを感じていたに違いない。亡くなるシーンを排除する小津的演出で盛り上がりを避けるところはさすが。劉徳華と秦海璐にもまったく何も起こらない。職人だねえ。香港の老人ホームは、部屋がただのパーティションで、ユースホステルみたい。あまり入居したくないね。徐克、洪金寶など、特別出演者が豪華でした。
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#58「ル・コルビュジエの家」ガストン・ドゥプラット,マリアノ・コーン/2009/アルゼンチン/Oct. 14/シネマート六本木 Screen 2○
ひと月ぶりの映画館。アルゼンチン映画とはめずらしい。ラプラタにあるコルビュジエ建築クルチェット邸にロケした、そこに住むデザイナーと隣人の、壁の穴についてのトラブルの顛末を描いたもの。そうか、そんな建築がアルゼンチンにあったのなら、行けばよかった。1997年当時も公開されていたかどうかは知らないけど。お隣とは変な警戒心、猜疑心など持たず、多様な価値観を認め、十分なコミュニケーションをまずは取らないことには悲劇的な結末が待ってますよ、というご時世にばっちり合った寓話である。キャメラはつねにデザイナー側にいるので自然と観客もその視点に立ってしまうのがミソで、これが『ル・コルビュジエの家、の隣』というタイトルの映画も同時に作ればそちらも面白そう。肝腎のクルチェット邸は典型的なコルビュジエ建築で、スロープを配した空間設計や娘の部屋のスリットが開放的。一部屋ずつもっとじっくり見たかった。あのチェアもいいね。場所とるけど。
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#57「夜霧の決闘」井上梅次/1959/東宝/Sep. 16/ラピュタ阿佐ヶ谷○
ヤクの売人鶴田浩二が事件後記憶喪失になって、記憶を取り戻す過程で他の悪が曝かれていくなかなか面白い作品。シナリオだけでなく、視覚効果とかモノローグとか、井上梅次らしい洒落た感じがいい。驚くのは、内田朝雄。若い。しかもいい役。反対に、いつもはおいしい役の丹波哲郎は、悪役。しかも小物。この内田朝雄と丹波哲郎の立場逆転が本作の最大の見どころであろう。そして、内田朝雄よりいい役なのが三橋達也。最初から正体が予想できるのだけど、社会通念上こういう役柄はタンバなんだがなあ、時代かなあ。キーとなるキャバレーの名前はアカパルコ。え、アカプルコじゃないの? そうか、この時代はアカパルコと表記・発音したのか、ふーん。“白い世界にほっぽり出され”なんていう鶴田、あんた、神戸出身なんだよ。香港人・森雅之の“秘書”、環三千世がひと言も喋らず、渋い。“ごぶさたして、おりまして”とか言ってみろ。中村伸郎と笠智衆に冷やかされるから。
#56「ライク・サムワン・イン・ラブ」アッバス・キアロスタミ/2012/日=仏/Sep. 16/ユーロスペース○
日本が舞台。コールガールをしている女子大生が元大学教授のじいさんのところに派遣される話。キャメラは常にフィクスされているのだけど、それが車のボンネットだったりして、落ち着いた絵ながら動きも結構ある。新宿、静岡、横浜、六本木が位置関係無視で連結されていくのが、なんだか楽しい。起承転結があるとはいえない。映画で見せている部分以外、つまりじいさんが女子大生を呼ぶことになる経緯とか、ぶち切れた超粘着質の加瀬亮が今後どうなるとか、そういうところの想像で話が広がるのを狙っているのだろう。じいさんはシャンパンまで買い込んで、女子大生と何がしたかったのか。一人暮らしのじいさんの部屋は、いかにもインテリっぽい感じでちょいといやみったらしい。画面右手にシャープの両開きドア冷蔵庫があるのだが、普通左を開けるだろうというアクションで、わざわざ中身が見えるように右を開けさせる。ああ、やはり一人暮らしの男の冷蔵庫だ、ってね。見せたり見せなかったりのわざとらしさが気になる一作。
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#55「ハーバー・クライシス 湾岸危機 Black & White Episode 1」蔡岳勳/2012/台湾/Sep. 15/丸の内TOEI
海港城という架空の都市を舞台に繰り広げられる世界レベルの大事件をハリウッド並みの特撮とアクションで描いた台湾発の大作。海港城は別に秘密でも何でもなく高雄である。まったく作風は異なるが『海炭市叙景』の函館を思い出した。人気TVドラマの映画化ということでスケールアップは普通だけど、その程度が普通じゃない。荒唐無稽のひと言。反物質爆弾、カーチェイス、ハイジャック…、まさにハリウッドそのまんま。こりゃ“台湾でもハリウッドと同じものが作れますよ”というメッセージだな。そう考えれば呆れず納得して、高雄の街を愉しむことができそうだ。美麗島站とかね。楊穎(Angelababy)が操るコンピュータはスケルトンの未来的デザイン(笑)でとても高性能という設定だと思うけど、文字表示の速度はドットインパクトプリンタ並みで、ピコピコ音も出る。こういうステレオタイプ的なリアリティのなさもハリウッド並み。リアリティがないといえば楊穎の美形にもリアリティがない。本物の人間?
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#54「そして友よ、静かに死ね」オリヴィエ・マルシャル/2011/仏/Sep. 15/銀座テアトルシネマ
Blu-ray Disc上映。もうこれだけで損した気分。割引があるとはいえ1,300円で家庭用ビデオは観たくない。どこかに告知があったのかもしれないが、このような形態で“映画”というのはやめていただきたい。最近ほんとプロジェクタ上映が多いよなあ…と、愚痴はこれくらいにして、ハードボイルドな映画自体は悪くない。ギャンググループをつくってのし上がった男は引退しているが、昔の仲間が問題を起こし、義理人情のため再び立ち上がる。ギャングをやっても人殺しはしない。健さんみたいな話だ。東映と違うのは、男が少数民族であること、女が絡むこと。内田朝雄に相当する悪人がギリシャ人というのが興味深い。裏切りについて何かステレオタイプがあるのかな? 映画には、男の回想シーン(子供時代とギャング時代)がたくさんあって、ひとりに3世代分のキャストがつくのだが誰も似ておらず、観客が認識できるようホクロで誤魔化すプアさが残念だった。残念といえば、原題とまったく違うくだらない邦題も残念。
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#53「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」本広克行/2012/フジテレビジョン=アイ・エヌ・ピー/Sep. 10/ムービル3○
キョンキョンがPowerBook G3を操っていた第1作から14年。ついに『踊る』最終作らしい。今回のPCはlenovoだった。TVドラマ時代から恩田すみれを追ってきたが、最後まで美しい、凛々しい。ミニスカポリス姿も見たかったけど、いつものパンツスーツがかっこいい。『あした晴れるか』におけるいづみさまのミハル役に匹敵する、ふかっちゃんの一等当たり役だよ。歳は若干取っている設定だろうけど、24〜39歳で同じ役はお見事。すみれさん、永遠なれ。映画は、見た目派手な割に、舞台はフジテレビのお膝元お台場に限定されているし、ヘリコプターだって社のが使えるだろうし、『西部警察』じゃないんだから車を爆破する必要もないし、ブームが去って3Dじゃないし、とりあえず織田裕二を走らせておけばいいので、とてもいいROI作品ではないかと思う。と考えるとがめついフジテレビがこれをほんとに最後にするか疑わしいものだ。毎回、所轄vs本店の対決構図が基本スタンス(マンネリともいう)になっているけど、実際はどうなんだろうね。
公式サイト
#52「プンサンケ」チョン・ジェホン/2011/韓国/Aug. 25/銀座シネパトス2○
38度線の中立地帯を行き来してモノや人を運ぶ闇商売をしている超クール男(といっても外見は長渕剛)が、北から運んできた女に想いを寄せたことをきっかけに破滅する。男は一切喋らないし(たった一度だけ吠える)、なぜこんな商売をしているのかもまったくわからない。とても儲かっているはずなのに、汚い地下室に住んでるし。どうやら一匹狼で、“北”でも“南”でもない様子。で、北と南の工作員に捕らえられ拷問され、最後には女も失う。ここから始まる復讐が凄まじい。北と南の工作員を一人ずつ拉致し、同じ部屋に監禁し、少しずつ武器を与えて戦わせる。ハングマンか。女を呼び寄せた脱北者の描写も狂気。コミカルさとシニカルさの入り交じった脚本はとても面白かった。キム・ギドクなんだね。“朝鮮半島のない地球はなくてもよい”という、一見勝手な北の工作員の言葉は鋭い。そうなのだ。恐ろしいことに、いざとなったら地球なんぞなくなっても(人類が滅亡しても)誰も困らないのが真実だ。
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#51「神弓」キム・ハンミン/2011/韓国/Aug. 25/ヒューマントラストシネマ有楽町2○
本日、日韓友好祈念デー。いきなり“外交能力のない政府は国を滅ぼす”という台詞で始まり、赤道小町ドキッ(古っ)。基本的には戦闘シーンが見せ場なのだけど、本作は清が朝鮮を攻めてくる話で、武器は弓、移動手段は足。これがなかなかの迫力で新鮮である。清の王子に連れ去られた妹を助けるため、カープ今村(パク・ヘイル)が小池朝雄(リュ・スンリョン)率いる王子護衛ゴキブリ軍団に、変化球(矢)で対戦する。飛ぶ矢は特殊撮影ではあるが合成ではないというから驚き。さすがに虎は合成だったけど。復讐のために敵国の王子を焼き殺してしまうというエピソード、中国映画における日本軍と同じくらい残虐極まりない清国軍の描写。いまの草食系日本映画には考えられない過激さで、漢族ではないとしても中国を刺激したりしないのか少々心配になった。満州に連行された国民を救出する策をほとんど取らなかったとして国を非難して映画は終わる。大ヒットの背景は何だろうか。
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#50「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」長谷川三郎/2012/Documentary Japan./Aug. 18/銀座シネパトス1○
被爆した広島を撮ることを出発点とした写真家・福島菊次郎氏を4年ほど追ったドキュメンタリー。偶然その間に福島原発事故が起こって、重みが増した。言い方は悪いが監督には追い風。福島さんの生きる姿勢に敬服する。(恥ずかしながら僕には絶対に無理だな。)政府に反抗し、年金も拒否。90歳で犬のロクと2人だけで、子供も含め誰の援助も受けず、孤独死承知で生きている。飼い慣らされたマスコミが絶対報道しない事象を、法を犯すこともいとわずファインダーで捉える。ヒロシマの件は、被爆者を顧みない戦後復興と平和都市化への批判であり、三里塚闘争や、祝島の反原発運動などでも同じ姿勢を貫いている。自衛隊・軍事産業の内部を告発したら暴漢に襲われ自宅も放火されたというエピソードは、(たとえそれが福島さんの思い込みだとしても)この国における黒社会とは別の闇の存在を感じさせる。放火された家からネガを救い出したという娘さんが、お父さんに勝るとも劣らずかっこよかったな。
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#49「籠の中の乙女」ヨルゴス・ランティモス/2009/ギリシャ/Aug. 18/シアター・イメージフォーラム○
イメージフォーラムで繰り返し流れる予告篇に吸い寄せられて観に行った。予告篇で湧く疑問は本篇を観終わった後も解決されず残る、特異な作品。とにかく観る側にイマジネーションが必要である。3人の子供たちは、なぜ外界から遮断され純粋培養されているのか。なぜ常に競わされるのか。なぜ暴力的なのか。なぜ名前がないのか。なぜモノの名称をでたらめに憶えさせるのか。なぜ競争に勝った褒美はシールなのか。母親は外界を知っているようだが出ることはない。外界とのインタフェースは、父親と、息子にあてがわれる女だけである。その女が糸口になって、長女が外界に出て行こうとする。この手段が壮絶。教育とは恐ろしいものである。そう、これが結論。上記の“なぜ”に対する答は実は不要なのだ。教育による人格・思想形成が親子のみならず国家と国民という関係でも大きな影響を及ぼすのは、尖閣や竹島問題などでも明らか。ならば、どうしたらいいのか。もちろん、監督はこの答も提示していない。
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#48「実録外伝 大阪電撃作戦」中島貞夫/1976/東映/Aug. 3/浅草名画座○
浅草六区の映画館がついに閉館するというので、本当はあまり思い入れはないのに、炎天下出かける。そもそもこの映画はDVDを持っていて、最近観た記憶がある。おばちゃんが受付に座る、懐かしい感じの館内は、おっさんばかり。上映中も人の出入りが頻繁にある。さすがにいまは煙草モクモクはないようだったが、どうにも落ち着かなかった。映画は、川田組=山口組の大阪進出を題材としたもの。三代目は当然タンバが演じている。いかにも変わり身の速そうな織本順吉をボスとする大阪やくざが、アキラを若頭とする川田組によってどんどん窮地に追い込まれていく。貫禄の差である。破門され長崎に逃げた渡瀬恒彦がどうやら無事にやってそうなのが意外でありホッとしもする。助っ人の郷鍈治と曽根晴美がまったくいいとこなし。贅沢な俳優の使い方だ。こういう映画は女優陣が冴えないのだけど、本作には中原早苗が出てるよ。わ〜かいむすめが、うっふーん♪ いや、もうおばさんだったけどね。
#47「灼熱の肌」フィリップ・ガレル/2011/仏=伊=スイス/Aug. 2/シアター・イメージフォーラム○
ゴダールの『軽蔑』との対比がなされるようだったので、カプリ島ででも撮っているのかと思ったら、ローマだった。ローマといえば、イタリア、イタリアといえば、スーパーカー、スーパーカーといえば、Fiat Pandaである(違う?)。というわけで、往来を走ったり駐車しているクルマをよく見ていたのだけど、結局1台しか見つからなかった。そもそもルイ・ガレルのクルマがBMWであることがおかしい。せめてアルファに乗れよ。『軽蔑』に話を戻すと、本作でのルイ・ガレルとモニカ・ベルッチ夫婦はミシェル・ピコリとブリジット・バルドー夫婦に相当する。BBの勝ちだ。モニカ・ベルッチって昔からいるよなあ、と思ったら47才じゃないか。ま、あの貫禄からすれば納得である。モニカ・ベルッチを他の男に取られ悲観し、自殺を図って入院しているルイ・ガレルのところに、監督の実父、モーリス・ガレルが出てきて孫を死の世界に誘う。このシーンが不思議な存在感を放っていた。
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#46「ローマ法王の休日」ナンニ・モレッティ/2011/伊=仏/Aug. 2/新宿武蔵野館○
バチカンでの法王の死去とそれに続くコンクラーベで映画は始まる。すべて仕込みとも思えないので、実際の映像も織り交ぜているのだろう。『「きめ方」の論理』でも問題点が指摘されていた、コンクラーベによる一見合理的・民主的な法王選出方法のおかしさは、この映画でも鋭く指摘されている。ま、そんなことはともかく、目立たない演劇好き一司教のミシェル・ピコリが、法王に選ばれてしまい、“法王がウツになりまして”状態になってしまう話は、結構真実味があった。世界に対して責任を負うあんな職は、いくらお金を積まれてもまっぴら御免である。法王の治療を依頼されるセラピストとして監督が登場。相変わらず、変な人だ。ミシェル・ピコリの名前が“メルヴィル”なのは、監督のメルヴィルへの敬意なのかな。
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#45「メカス×ゲリン 往復書簡」ホセ・ルイス・ゲリン/2011/スペイン/Jul. 16/シアター・イメージフォーラム○
ジョナス・メカス(すみません、知らない人です)とホセ・ルイス・ゲリンのビデオレター文通。二人とも映像製作を生業としているわけだが、これは単独監督作品といえるのだろうか。メカス爺さんのレターは肩の力が抜けていて、生活そのまんま見せてます。いい感じ。それに対するゲリンのレターはさりげなく作り込んである。嫌味はないけど。ゲリンの最終レターでは、東日本大震災に言及しながら、新潟、そして鎌倉への旅が紹介される。『麦秋』の高徳院・大仏のスティルショットの後、北鎌倉・円覚寺で小津安二郎の墓参り。無音ではあるけど、墓掃除をしているおばさんグループとのインタラクションが楽しい。鎌倉がいかに田舎かが世界に伝わったね。
#44「源氏物語」武智鉄二/1966/源氏映画社/Jul. 16/シネマヴェーラ渋谷
DVDが出たので買ってはみたものの、異様な雰囲気について行けず、いまだ最後まで観ていない、いづみさま出演作で唯一の18禁映画。映画館でかかるというので出かけた。映画は、帝になった光源氏が自分の女性遍歴を振り返る構造だが、ちゃんと読んだことがないのでこれが原作に沿っているのかどうかわからない。とにかく最後まで観た。これでどうしてR-18なのか不明。夜這いに行くことが問題なのだろうか? 配給は日活で、俳優も日活系。紫の上が浅丘ルリ子、いづみさまは藤壺である。藤壺の肩が露わになるシーンがあるが、明らかに吹き替え。光源氏が須磨に行って会う豪族の娘が『女は復讐する』の川口小枝だった。監督の義娘だと。変なギャグかましてた。
#43「「空白の起点」より 女は復讐する」長谷和夫/1966/テアトルプロ/Jul. 16/シネマヴェーラ渋谷○
原作笹沢佐保ということで、チラシにもあるが、ほとんど二時間サスペンスドラマのノリ(ただし、上映時間は90分)。復讐のヒロインはかたせ梨乃、じゃなくて川口小枝という知らない人。普通のおばさん。追及するのは天知茂演じる保険調査員。刑事に中谷一郎。怪しい男に菅井一郎。飲み屋のおかみは岩崎加根子。露口茂などという珍品も出演。犯人はおばさん(実際には若い、たぶん)と最初からわかるのだが、その動機がなかなか観客に知らされないし、ちょっとしたどんでん返しもあり、なかなか楽しめるストーリーだった。『宮本武蔵 一乗寺の決斗』では凛とした花魁を演じていた岩崎加根子は、本作では飲んだくれ。こっちの方がいいかも。残念なことにフィルムの状態はかなり悪かった。
#42「孤島の太陽」吉田憲二/1968/日活/Jul. 15/ラピュタ阿佐ヶ谷○
東京マダムと大阪夫人』から15年、記憶すべきいづみさま映画出演最終作#107。スカパーで拝観済だが、やはりスクリーンで。高知県の離島、沖の島に赴任した保健師・樫山文枝が主人公。実話にもとづく、しかもご本人健在時の作品のため、“文部省推薦”が付いてもおかしくない感動秘話形式。つまり、映画としては面白くない。というわけで専らいづみさまの登場シーンを追う。樫山文枝の上司にあたる役で、“上司と部下のコミュニケーション読本”に例が出てきそうなくらいの樫山文枝に対するエンパワーメントぶりに注目だ。医師資格試験に落ちた宇野重吉が島を逃げ出す本当の理由が、島に隠し子を残したからであるのは、今回の密かな発見であった。海の情景として頻繁に出てきた姫島は、台湾の亀山島そっくりだったな。
#41「やっちゃ場の女」木村恵吾/1962/大映東京/Jul. 15/ラピュタ阿佐ヶ谷
やっちゃ場が出てきて清川玉枝がお母さんとくれば(信欣三も出てたし)、いづみさまの最高傑作『あした晴れるか』を連想せずにはおれないが、清川玉枝はすぐに死んでしまうし、ヒロインは若尾ちゃんの“映画は大映”映画である。果物卸問屋の若尾ちゃんと叶順子の姉妹が使用人の藤巻潤を巡って争った末、叶順子が自殺未遂をしでかすシナリオはいまひとつ乗れないが、勝鬨橋、佃島、渡し船など、懐かしい(といっても体験していないが)東京が見られて楽しかった。通夜のシーンが結構長かったのが興味深い。大山健二が渋いじいさんになっていた。水戸光子がいいおばさんになっていた。根上淳が珍しく軽薄だった。潮万太郎はいつも通り軽薄だった。
#40「ベルタのモチーフ」ホセ・ルイス・ゲリン/1983/スペイン/Jul. 7/シアター・イメージフォーラム○
今回の映画祭の目玉、長編第1作。瑞々しさと同時に、類い希なる映画作家の片鱗をすでに見せる興味深い作品。思春期を迎えた少女ベルタの大人へのイニシエーション物語。『ミツバチのささやき』や、『光陰的故事』の楊徳昌を連想させる。風そよぐ大地の中で増幅される、謎の男に対する少女の胸騒ぎが見事に描写されている。そして、モノクロームで広がる麦畑が美しい。観客にあるシーンを予測させておいてそれを結局見せない肩すかしには、思わず唸ってしまった。機械オンチのお母さんというコミカルなエピソードもグッド。『海辺のポーリーヌ』でポーリーヌのセクシーな従姉を演じていたアリエル・ドンバールがアメリカからロケにやってきた女優役で出演してた。この人、アメリカ人だったのか。
#39「工事中」ホセ・ルイス・ゲリン/2001/スペイン/Jul. 7/シアター・イメージフォーラム○
バルセロナの再開発地区でマンションが建てられる。建設作業員、周辺住民、通りがかりの人々、不動産屋、マンション購入を検討する客、さまざまな階層の人間が一棟の建物に絡んでドラマを構成する。マンション建設はドキュメンタリーだろうが、出てくる人びとの大半は演出されたものだ、事実をベースにしているにせよ、たぶん。煉瓦積み職人たちのやりとりがいい。休み時間に現場で即席のコンロをつくり、調理し、ワインまで呑む昼食も最高。モロッコ人なのか。スペインにはたくさんいるんだろうね、そういう出稼ぎ的な人たちが。ところでこのマンション、ただの煉瓦積みではなく、ちゃんと鉄筋コンクリートの部分があるということがわかって少し安心した。鉄骨は確認できなかったが…。
#38「影の列車」ホセ・ルイス・ゲリン/1997/スペイン/Jul. 7/シアター・イメージフォーラム★
シルビアのいる街で』でかかっていたのにつられてiTunes StoreでBlondieのアルバムを買ってしまった(どうでもいい話)ホセ・ルイス・ゲリンの“映画祭”、監督が来て混みそうな第1週を避け、本作から参戦。1930年ころに撮影されたという個人フィルムを“復元”し、フィルムに写ったファミリーの物語もついでに“復元”してしまうという、“やられた感”の大きい作品。似た俳優を使って、当時の撮影の再現シーンまで作り込む凝りようで、このシーンのわざとらしさからして監督がルンルン愉しんでいるのが伝わってくる。主人(=撮影者)のメイドとの秘められた不倫。それが本当か嘘かは問題ではない。単に監督は新しい物語、新しい映画を創造しているだけなのだ。デキる方らしいわ。(←原節子の声でね)
#37「愛の残像」フィリップ・ガレル/2008/仏/Jun. 23/シアター・イメージフォーラム○
ガレルを観るのは確か初めて。監督の息子とナタリー・バイの娘が主役のラブ・ストーリー。なのだが、様子はかなり異様。濃い。前半でキャロル(女)は自殺。次の彼女と付き合っていたフランソワ(男)の前に、キャロルの幻影が見えるようになる。キャロルは鏡の向こうから“こっちに来い”とフランソワに要求する。恐い。『オルフェ』か。映画が始まってからカメラマンのフランソワと女優で既婚のキャロルがくっつくまでの時間というか描写がきわめて短く、巧い。他のパートも同様で、“できる”監督である。ただ、作品はモノクロなのだけどデジタル撮影なのは残念なところ。ローラ・スメットの顔の毛穴まで見えるのはともかく、デジタル特有の滲みがとても気になってしまう。
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#36「実録・私設銀座警察」佐藤純彌/1973/東映/Jun. 23/シネマヴェーラ渋谷○
“リンゴの唄”がトレードマーク(というかそれしかない)の第二次大戦敗戦後混乱期の銀座を舞台に暴れ回った“私設銀座警察”と呼ばれた極道集団を描いたドロドロ作品。簡単に言うと単細胞博打打ち葉山良二、頭脳派やくざ安藤昇、すけこまし梅宮辰夫の共謀と裏切り合いである。葉山良二にヒロポン中毒にされて殺人鬼化(安藤昇も殺されてしまう)する渡瀬恒彦の演技が壮絶。あんなのが店の片隅にいるスナックに誰が入るものか。安藤昇が金を巻き上げる銀座で商売する中国人に内田朝雄。はまり過ぎで最初誰かわからなかった。“没法子”なんて北京語も喋るぞ。オープニングの、路上に屍がゴロゴロする記録映像。ほんの70年足らず前の東京だ。またいつああなるか、誰ぞ知るや。そうそう、タコ八郎出てました。
#35「真田風雲録」加藤泰/1963/東映/Jun. 23/シネマヴェーラ渋谷○
ずっと前スカパーで観て、つまらないと思っていた作品。改めて劇場でワイド画面で観てみたら、結構楽しめた。関ヶ原の戦いから大坂夏の陣に至る激動の時代を喜劇化した快作、と評価し直そう。監督も楽しんで撮ったことだろう。その象徴が、真田幸村を千秋実に演じさせるというキャスティングである。真田十勇士のうち、猿飛佐助が錦ちゃん、霧隠才蔵が渡辺美佐子(女だよ)。錦ちゃんは、赤ちゃんのときに落ちてきた隕石の放射線を浴びて超能力をもっており、なぜかスラックスを穿いている。頭は宮本武蔵と同じなのだけど。千姫を演じていた本間千代子は寺川奈津美にやや似だな。冒頭(関ヶ原)の横移動とか、超ローポジとか、技術的にも興味深い作品である。
#34「妻の心」成瀬巳喜男/1956/東宝/Jun. 9/銀座シネパトス3○
成瀬特集二本立ての二本目はこれ。デコちゃんは地方の町で薬屋を営む小林桂樹の奥さんで、三好栄子演じる粘着性姑に外出が多いだの色々ブチブチ言われるが、こちらは離婚したりはしない。山谷ありながらも時間が事を解決する小市民の生活が描かれている。小林桂樹のお兄さんが千秋実というのがリアルすぎて笑える。そして千秋実の奥さんに我らがニッセイのおばちゃん・成瀬の裏ミューズ・中北千枝子。いつのまにかデコちゃんちに居座ってしまう、デジャヴ感覚が心地よい。三船敏郎と杉葉子の兄妹は、『稲妻』の根上淳・香川京子に通じるな。加東大介と沢村貞子の姉弟夫婦(おそろしい)はとってもいい人たちで、拍子抜けだった。
#33「あらくれ」成瀬巳喜男/1957/東宝/Jun. 9/銀座シネパトス3○
進めーっ、デコちゃーん、デコちゃんにはデコちゃんのー、みーちーがあーるーっ♪ フランス語みたいな語感のタイトル通り(?)デコちゃんが大暴れし、上原謙、森雅之、加東大介、そして仲代達矢と渡り歩きながらたくましく生きる快作。大正時代の商店街、風俗をきめ細かく再現する美術がすばらしい。上原謙と加東大介に通じてデコちゃんから敵視される三浦光子は、17年前の『信子』からはだいぶ老けたものの、似たような雰囲気+色気で感心した。温泉宿でよろける振りしてデコちゃんの胸を触る志村喬はけしからん助平爺である。ところで、デコちゃんが富山の置き薬箱から取り出した頭痛薬(?)をこめかみに貼り付けるシーンがあるのだけど、あの薬は一体どういう成分なのだろう? 現代にはないよね。
#32「少年と自転車」ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ/2011/ベルギー=仏=伊/Jun. 2/角川シネマ新宿 Screen 2★
見放され施設に入れられても肉親を慕い、絶望の中に里親という希望を見いだしても〈仲間〉に傾いていく繊細な心の動きと、それに対峙する里親の苛立ちと愛情。少年の多感さを見事にとらえた傑作。里親を演じたセシル・ドゥ・フランスは、こないだの『ある秘密』より自然で(あたりまえか)、よかった。他の登場人物の描写も絶妙。それにしても、猿みたいな少年のすばしこさとスタミナには感心したな。で、それを追うキャメラが素晴らしい。自転車を駆る少年の姿を捉える移動撮影。映える、少年の赤いジャージやTシャツ。見せるものは見せ、隠すものは隠す。しかも本篇87分だよ、これぞ映画。映画っていいもんですね。2人の将来が気になってしかたがないよ。
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#31「サニー 永遠の仲間たち」カン・ヒョンチョル/2011/韓国/May 26/ル・シネマ○
最近流行(?)の'80年代ノスタルジア映画の一本。女子高時代にチームを組みいまはそれぞれの人生を歩む七人が、がんで余命幾ばくもないリーダーの希望で再会を図る。全斗煥政権に対するデモなど暗い部分はほどほどに、明るく希望に満ちた'80年代と日々の生活に追われる現在を対比させる一般的な構成ながらも、なかなか楽しい仕上がり。クールなスジ役のミン・ヒョリンという女優は驚愕の美しさ。ちょいと仲里依紗似かも。ところで、韓国人はナイキが好きなのか、『ムサン日記』でも脱北者がナイキのダウンジャケットをありがたがっていたが、本作でもナイキが都会=ソウルの象徴としてブランディングされていて、シューズ、バッグなどで露骨に登場していた。単なる映画のスポンサーかな?
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#30「ムサン日記 白い犬」パク・ジョンボム/2010/韓国/May 26/シアター・イメージフォーラム○
ソウルで真面目に生きようとするおかっぱ頭で正直な脱北者が、お金を前に変心し、髪を切って俗に暮らそうとしたとき、神は彼の唯一の友だった白い犬・ペックを奪ってしまう、というのがあらすじ。125で始まる住民登録番号は脱北者を示すんだそうだ。個人情報が透けて見えるこういう番号づけって日本にもときどきあるが、やめてもらいたいものだ。教会で知り慕う女性と彼はレストランでスパゲティを食べる。右手に例の金属製箸、左手にスプーン。二人の間には皿に盛られたキムチ。いいね、食べ方がコリアンだ。ナポリタンのように見えたけど、味もコリアンだったりして。ところで、監督が主演の作品って監督が演技するときは誰が監督するんだろう。
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#29「王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」徐克/2010/香港/May 19/シネマート新宿
陳腐な邦題は、シャーロック・ホームズとかを意識しているかららしい。則天武后の即位を目前に控えた宮廷に起こる奇怪な事件の捜査。劉徳華が狄仁傑。劉嘉玲が則天武后。徐克の復活作というので期待して観に行ったのだが、SFX使いまくりの7世紀巨大スケール都市映像、特に建造中の巨大仏像の荒唐無稽さには唖然とするものの、『スウォーズマン』のようなコメディ要素がない分、ただのデキの悪いSF映画にしか残念ながら見えなかった。劉嘉玲は堂々の演技。怪演といってもいいかもしれない。その側近を演じる『ただいま』の李冰冰は、最近見る頻度が上がった気がする。人気あるのかな。“特別演出”とクレジットされた梁家輝は、その割にとっても重要な役だった。
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#28「ル・アーヴルの靴みがき」アキ・カウリスマキ/2011/フィンランド=仏=独/May 19/ユーロスペース○
舞台がフランスはルアーヴルのカウリスマキ最新作。もちろん台詞もフランス語である。不治の病のフィンランド人妻をもつ靴磨き屋が、アフリカから不法入国した少年を助けると、妻の病気がすっかりよくなるという、カウリスマキらしいヒューマニズム・ハッピーエンド映画。欧州では不法移民問題が深刻になっているとよく聞くけれど、こういう作品が現地ではどう評価されたのか気になる。妻を演じているのはお馴染み、カティ・オウティネン。おばさんだ。少年を警察に密告する、作品中たったひとりの悪人をジャン=ピエール・レオーが演じていた。ユーロスペースでは、にっかつロマンポルノもやっていて、中年・壮年はカウリスマキへ、若者はロマンポルノへと明快に客層が分かれているように見えた。
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#27「三重スパイ」エリック・ロメール/2003/仏/Apr. 22/シアター・イメージフォーラム○
ロメール爺さんの未見作は、おセンチ少女ものじゃなかった。だから公開されていなかったのか。パリに住む、ロシア人の夫をもつギリシャ人の妻の物語。舞台は1930年代。本作も記録映像を多用し、ナチスの台頭や独ソ不可侵条約など、時代背景を説明する。題名のスパイは夫を指している。帝政ロシアの元将軍で、革命で亡命したという設定だが、ソ連共産党やナチのスパイという疑いもかけられ、三重スパイ説が出る。実際にどうだったかは明らかにされない。容貌が普通のおっさんでスパイという感じではないのだが、それがリアリティなのだろう。あくまで主人公は妻であり、夫の知らされない仕事内容に翻弄され、結局命まで落としてしまう。スパイの話なのにスリリングでないのがロメール風だね。
#26「ある秘密」クロード・ミレール/2007/仏/Apr. 22/シアター・イメージフォーラム○
先日亡くなったこの監督は、作品が醸し出す'60年代的空気がお気に入り。絶頂期のイザベル・アジャーニを使った『死への逃避行』は絶品だった。現在がモノクローム、過去がカラーと時制により映像が使い分けられる本作は、期待していたフィルム・ノワールではなかった。記録映像を挟みながらユダヤ人一族の暗い過去(第二次大戦前・中・後)と現在を行き来する。ユダヤ人であることを誇りとする者、隠す者。それぞれの想いと人間関係が絡み、少年に対するある秘密が生まれる。出来としては不満だが、ユダヤ人のトラウマを正面に据えている点は興味深い。成人した少年(現在の主人公)を演じるのはマチュー・アマルリック。珍しく普通。セシル・ドゥ・フランス、リュディヴィーヌ・サニエ、スターだろうが、魅力には乏しいな。
#25「刑事ベラミー」クロード・シャブロル/2009/仏/Apr. 22/シアター・イメージフォーラム○
最近見るだけでむかつくジェラール・ドパルデュー主演なのだが、シャブロルの遺作なのでしかたがない。奥さん役がマリー・ビュネルだしね。休暇中の有名デカ、ベラミーが滞在先で起こった保険金殺人事件に首を突っ込む話。“いきなり有名人”なので、TVシリーズの映画化か?と思わせる感じが新鮮。ドパルデューがマリー・ビュネルといちゃつくのに怒りながら観ていると、最初は断片的だった事件、人間関係がクロスワードパズルのように明らかになってくるのはさすが。事件とは無関係のドパルデューの異父弟の存在は、兄の人間形成に大きく関与していることが終盤になってわかるのだが、効果的とは思えなかった。結末も、どうかな。ま、マリー・ビュネルを堪能する映画ということで。
#24「ヴェルクマイスター・ハーモニー」タル・ベーラ/2000/ハンガリー=独=仏/Apr. 15/シアター・イメージフォーラム○
例によって、モノクローム、長回し、移動。そして題名らしく(?)、騒々しい音楽。本当に題名らしいのかどうかは、ヴェルクマイスターの調律法がどんな響きなのか知らない者には分からぬ。街に巨大なトレーラーがやってくると、不協和音が湧き起こる。鯨の見世物小屋の周りに集まる群衆。姿を見せない“プリンス”に煽動され暴動を起こす群衆。どことなくぎこちなく病院を破壊する群衆。何か得体の知れないもののちょっとした作用で狂っていく人間社会をシニカルに描いたこの作品から連想するのは、いまの日本だ。“変わる”ことが期待できるだけで変化の方向も考えず、あるいはいいこととの抱き合わせが起こす副作用の大きさを考えず、危険な政治家になびく民衆。こわいこわい。
#23「311」森達也,綿井健陽,松林要樹,安岡卓治/2011/東風/Mar. 24/オーディトリウム渋谷○
“魂をゆさぶる”とでも表現したい、そういう映画がごくたまにある。最近では『ニーチェの馬』がそうだ。3.11を扱ったこのドキュメンタリーも、そういう一本。テレビや雑誌等でいくらでも見てきたはずの被災地の様子が、圧倒的な臨場感で別物に見える。すべてが押し流された街は、原爆投下後の広島市街の写真を想起させた。小学校の体育館の壁に残る津波の高さを示すライン、街中(だったところ)にそびえる船、人間(社会)と蟻(社会)は自然から見れば同じであることを改めて痛感する。被災地での上映予定がないのは当然。本作は、理由はどうあれ現場に行かなかった人が見るものだ。宮城県の前に福島県で1Fから約8kmまで近づいた4人組。健康被害が出るとは思えないが、伝わってきたのは無謀さばかりだったのは残念。
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#22「シテール島への船出」テオ・アンゲロプロス/1984/ギリシャ/Mar. 18/新文芸坐○
初鑑賞時、不覚にも泣いてしまった、僕には特別な作品。内戦に敗れソ連に亡命していた夫が32年ぶりに帰ってくるものの、居場所はなく、妻と静かにふたたび国を離れていく。この頑固じいさんと夫の亡命中代理で入獄したというおばあさんがとてもいい。もちろん、映画のオーディションからいつの間にか“その映画”が始まる有名なシークエンスはぞくぞくするし、青い木の横で燃え上がる農具小屋も美しい。このように独自の映画的テクニックを駆使するアンゲロプロスは、やはりタルコフスキーと同じ水平線上にいると再認識。曇天の港に浮かぶ艀に乗る老夫婦が係留ロープをほどくと、艀がスゥーッと沖へ動き出す。霧の先はおそらく『霧の中の風景』で姉弟が見るドイツと同じ場所である。
#21「霧の中の風景」テオ・アンゲロプロス/1988/ギリシャ=仏/Mar. 18/新文芸坐○
ドイツにいるという父に会うため家を出る幼い姉弟のロードムーヴィー。初鑑賞時の記憶はほとんどない。出発後まもなく姉は父の“不在”を知ってしまうのだが、そこは年長としての判断で弟の勇ちゃんには言わず、そのまま旅を続ける。その後もこのお姉ちゃんには辛い行程が待っている、要は女の子のイニシエーション映画である。一方、勇ちゃんは無邪気だ。お金がなくても平気。旅芸人一座の兄ちゃんにもらったフィルムのかけらに写る“霧”をいつまでも眺めている。厳しい監視の国境の川を越え、霧の中に浮かび上がる一本の木が何を意味するか…。ひとつ間違えば批判されそうな、静止する環境を歩く姉弟や、重機などのモノを見せるためだけのカットが、僕は好き。
#20「大巨獣ガッパ」野口晴康/1967/日活/Mar. 10/シアターN渋谷1
舞台は現代。雑誌社がテーマパークを作るため南洋にアナクロな調査隊を派遣。川地民夫に小高雄二に山本陽子。なぜか二世通訳の藤竜也。オベリスク島という火山島の地下にあった卵がふ化し、子ガッパ誕生。何万年も昔の卵が氷河で保存されてたって、火山の下だよ。掠われた子供を取り返しに父母ガッパが来日、子を探し回って、熱海、箱根、河口湖、猪苗代湖、日光と破壊していく。ガッパが起こす津波に街が飲み込まれるシーンが結構リアル。“東京は守れ”という政府だか自衛隊だかの言葉は“他所は犠牲になっても仕方ない”の裏返しである。最後は親子を引き合わせて南洋に帰っていくという、ほのぼのエンディング。さあ、復興が大変だ。雑誌社が出す“PLAYMATE”誌の背表紙にVANの広告が入っていたよ。
#19「宇宙大怪獣ギララ」二本松嘉瑞/1967/松竹/Mar. 10/シアターN渋谷1
舞台は宇宙人の存在が知られた未来。映画は1F着工の年の公開。原子力が(現実となった)夢のエネルギーとして扱われる。宇宙船AAB-γ(Atomic Astro Boat?)が原子力で飛んだり、高濃度核燃料がギララ退治のキーのひとつになったり。振動に弱い割にはクルマに積んで凸凹道を爆走するのが笑える。宇宙生物ギララはあらゆるエネルギーを周囲から吸収して成長・活動する。発電所を破壊し東京も襲う。怪獣は天災や戦争のメタファー。この頃って戦闘機はF-104、戦車は61式と決まってた気がするな。特撮でお金を使いすぎなのか俳優陣がしょぼいのだが、岡田英次と北竜二、若き日の藤岡弘とかが出ていたよ。東京の街に出てくる“渡辺 ジュースの素”看板が気になった。あったよね、ジュースの素。
#18「プリピャチ」ニコラウス・ゲイハルター/1999/オーストリア/Mar. 3/UPLINK X○
最近のUPLINKは原発シリーズ。今回は王道(?)のチェルノブイリである。そこからわずか4kmの町、プリピャチを事故後12年後の1998年に取材したドキュメンタリー。悲しいことだが11年後の大熊町、双葉町の姿を重ね合わせざるを得ない。事故後は“ゾーン”として閉鎖(居住禁止、汚染物を持ち出すことは厳禁)された区域に勝手に戻ってきた老人夫婦の暮らしや、“石棺”以外で稼働を続ける原発で働く人々へのインタビュー。放射線などもうどうでもいい、あるいはわかっちゃいるけど慣れてしまった、どちらも分かるな。キエフから通う元住民女性が、鳥がいなくなったという話をする。ほんとかな? 鳥がいなくなる=餌の虫がいない? 植物は繁茂しているので虫の餌は無尽蔵だけど…。まさか放射線で虫は全滅しないだろう。
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#17「父の初七日」王育麟,劉梓潔/2009/台湾/Mar. 3/東京都写真美術館ホール○
3.11で公開延期になっていた作品。これでなぜ延期したのか不明。台湾のお葬式は派手なことで有名だけど、本作のは、現地でよく見かける賑々しい車列は出てこないごく小規模なもの。考えてみれば日本のお葬式も、しんみりするだけでなく笑いもある、故人をよく憶えておこう、これを機に親戚ご近所集まって親交を深めましょうという生き続ける人たちのためのイベントだ。編集のやり方とかは好みではないが、描かれる内容は好みだったな。『怨み節』が突然流れるのにはびっくり。阿義の元恋人がパリにいるという設定で、台北のPAUL前でロケしているのが笑えた。舞台は彰化県。といえば鹿港だけど、そっちじゃなくて田中だった。故人の恋人だったらしい看護師のユニフォームがチャイナボタンでお洒落だったよ。
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#16「タクティカル・ユニット 機動部隊 -絆-」羅永昌/2009/香港/Feb. 25/シネマート六本木 Screen 2
また“絆”か。陳腐だ。それだけで内容はあまり期待できないのだけど、杜琪峰監製だし、原題は“同胞”のようだし、観に行ってみるか。ミニポスターもらったけど、観る前から要らんぞ、こんなもの。中身はPTU(Police Tactical Unit)の話。任達華班と邵美琪班がいがみ合っているが、ある事件で犯人グループを山狩りすることになり最後には一体となって事件解決するという、やはり陳腐なストーリーだった。林雪の使い方も毎度陳腐。これではドリフの高木ブーと同じである。もっと才能を活かさないとね。ところで独特の響きが心地よい広東語は無形文化財である。香港では最近普通話を喋る人が英語を喋る人を上回ったというニュースがあった。そのうち広東語を喋る人が減ってくるのではないかと心配だなあ。
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#15「イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘」ヨアヒム・チルナー/2010/独/Feb. 25/UPLINK X○
原発については使用済燃料をどうするのかという議論がよく聞かれるが、本作は核燃料サイクルのフロントエンドであるウラン採掘が起こしてきた問題に焦点を当て世界各地のウラン鉱山を訪ねる貴重なドキュメンタリー。当事者、特に鉱山の経営者側がインタビューに応じているのが意外。みな誇らしげに、地元経済への貢献を語る。労働者の姿は、福島のニュースで見るような完全防護のいでたちではなく、炭鉱労働者となんら変わりがない。少量のウランを取ったあとの大量の土はボタ山になり、廃液は池となる。露天。どれくらいの放射線を出しているのか、チェルノブイリあるいは一般の自然界と比較してどうなのか不明。そのため、反核感情や不安を煽るだけになっている。データの裏付けが欲しい。
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#14「ニーチェの馬」タル・ベーラ/2011/ハンガリー=仏=スイス=独/Feb. 25/シアター・イメージフォーラム Theater 2★★
婚期を逃しかけた娘と父が主人公。といえば小津を想起すると思うが、これは反復により無常を描くのではなく、反復により終末を描いた驚愕の作品である。タルコフスキーの『サクリファイス』も終末を描いたものとして思い起こされるが、あれには希望があった。本作には、ない。絶望しかないのである。冒頭の、疾走する馬を遠近自在のキャメラが捉える超長回しから圧倒され、以降も長回しによる静かで激しいカットが“終わり”まで続く。荒涼とした土地に孤独に住む父娘はほとんど口をきかない。馬は食べることをやめ、井戸は涸れる。二人はどこにも行かない。どこにも行けない。モノクロ映像の美しさに息を呑んでいると、スクリーンに、終末に、自分も吸い込まれていく。恐ろしい。二度と観ない。
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#13「J・エドガー」クリント・イーストウッド/2011/米/Feb. 18/渋谷シネパレス シネマ2○
FBIを創設し約半世紀にわたってそれを牛耳ってきたフーバー長官の、異常なまでの(彼が信じる上での)悪への憎悪、自己顕示欲、マザコン、同性への純愛という、観る者をやや動揺させる半生。僕のイメージするアメリカの権化みたいな輩で…、そうか、イーストウッドが描きたかったのは、彼を通したアメリカの姿だったのかもね。上映中、なぜイーストウッドがこの題材を取り上げたか疑問だった。なんとなくすっきりした。ディカプリオのデブっぷりが印象的。FBI,CIAやKGBのような組織は各国が持っているのだと思うが、“国益”を守るという甚だ利己的な目的を持つこれらの秘密組織は、東西冷戦終結後も不毛な裏の帝国主義戦争を繰り広げているのだろうな。
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#12「タンタンと私」アンダース・オステルガルド/2003/デンマーク=ベルギー=仏=スイス=スウェーデン/Feb. 18/UPLINK X○
エルジェ本人へのインタビューという宝物のようなドキュメンタリー作品。TintinとMilouは、2x年前にPeanutsというかCharlie BrownとSnoopyの対抗のようなイメージで認識して以来のお気に入り。コツコツとグッズなど買ってきた。1m近い高さのロケットを入手するのが夢だ。コミックをちゃんと読んだのは20年前で英語版。当時『ソビエトへ』と『コンゴ探険』は入手できなかった。それらが政治的に問題あることを知ったのはずっと後のことである。本作ではその辺のバックグラウンドが本人によって語られており、とても貴重。フランス語を喋る本物のチャンも出てくるし、カスタフィオーレ夫人は確かに最初の奥さんに似ているようだ。単なるインタビューではなく、映像もいろいろ凝っているが、まったく嫌味がなかったな。
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#11「風にそよぐ草」アラン・レネ/2009/仏=伊/Feb. 11/岩波ホール★
アラン・レネももういい年だろう。楽しみながら映画を撮っているのがよく伝わる、個人的にツボにはまったコメディの佳作。主演はアンドレ・デュソリエとサビーヌ・アゼマ。脇にマチュー・アマルリックとエマニュエル・ドヴォスのデプレシャン組。神経衰弱らしいアンドレ・デュソリエの妄想がおかしい。その相手となるサビーヌ・アゼマへ伝染していくのもおかしい。夫が見知らぬ年増女に接近していくのを冷静に見守る、アンドレ・デュソリエの妻役のアンヌ・コンシヌという女優がなかなかよかったよ。みんなルノーに乗っているのに、サビーヌ・アゼマだけがsmart coupeに乗っているのが不思議だった。岩波ホールのお客は、エンディングに呆然としていた様子。C'est cinema.
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#10「レイトオータム」キム・テヨン/2010/韓国=香港=米/Feb. 11/ヒューマントラストシネマ渋谷
小津映画の英題みたいなタイトルの三国合作映画は、『ラスト、コーション』でAVデビューした(してないって)湯唯がDV夫殺しで服役中のところへ母の訃報が届いて72時間の保釈、シアトルへ帰る際、韓国人エスコーター・ヒョンビンに出会う話。うまくいってないね。なんというか三者が噛み合っていない感覚。土地のフィルムコミッションが入るとどうしてもそこの言うことを聞かなくてはいけないのが問題のひとつ、たぶん。遊園地の演劇シーンには目を背けたくなったが、これは演出の問題。ヒョンビンの北京語(“好”と“坏”だけだが)によるツッコミも気に入らない。ただ、全般に映像はよかった。刑務所の外の荒涼感、シアトルの街の寒さ。シアトルなら市場もいいけど、スペースニードルに上って欲しかったな。
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#9「もぐら横丁」清水宏/1953/新東宝/Jan. 29/フィルムセンター○
補正予算を使ってプリントされた、貴重なフィルム。小原庄助さんのように呑気な、うだつの上がらない小説家・佐野周二が、これまた呑気な島崎雪子と結婚している。この呑気夫婦が貧乏を半ば楽しむように日々の暮らしを営む姿を描く、なんともシミズ的な、でも、悪ガキも出ず、移動もない作品。引っ越しはあるけどね。とにかく佐野周二が何もしない。小説さえ書かない。面倒なことはぜんぶ奥さん任せ。突然、佐野が芥川賞を受賞する。おいおい、いつ書いたんだ? 一気に金持ちになるのかと思いきや、そうでもないのが微笑ましい。“もらっといてやる”とは言わなかったが、記念品の時計はさっさと質屋へ行ってしまうのだった。膨大な数の映画を撮った天才・清水宏。もっと復活させてほしいなあ。
#8「断絶」モンテ・ヘルマン/1971/米/Jan. 29/シアター・イメージフォーラム○
アメリカン・ニューシネマの伝説的作品らしい。『果てなき路』の公開記念でリバイバル。公開時、まったく当たらなかったというが、なるほどこれはマニアックな、ある意味極限まで行ったロード・ムーヴィーで、原題通り道路が主役。1955年式シボレーのレースマニア青年二人と最新(1970年式)のポンティアックGTOに乗る孤独な男(ウォーレン・オーツだ)がアメリカ大陸横断のキャノンボール。これに風来坊の女の子が絡む。実は彼らに目的地はなく、ただ道路上を走り続けるだけである。男がレース中でも次々にヒッチハイクの客を拾い、相手に即興の身の上話をするのが楽しい。あの時代、ヒッチハイクは普通だったのか、おばあさんまで乗ってきたよ。おばあさんには男もタジタジだったのがおかしかったな。
#7「果てなき路」モンテ・ヘルマン/2011/米/Jan. 15/シアター・イメージフォーラム★
ハリウッドにこんなシネフィルがいたのか。女性がクルマを停めた先の静かな湖面に突如セスナが突っ込んでいく衝撃的な映像が脳裏に焼き付いている。ある謎の事件の真相、その事件を追うブログ、それを原作とした映画化を編み込んだ秀逸な(楽屋落ち)シナリオが、シャープな映像で具現化されるフィルム・ノワールである。監督を惑わし悪の影がちらつく魅力的なヒロインの謎は最後まで暗示のまま。スタージェス、エリセ、ベルイマンをベタに引用したのには少々笑ったものの、喝采したい。PC画面のはめ込み合成は仕方ないのだろうけど、もう少し自然に見えるとよかったなぁ。クレジットで確認できなかったけど、あのローマは本物だよね? キューバは偽物だろうけど。
#6「人情馬鹿」清水宏/1956/大映東京/Jan. 15/神保町シアター○
“川口家の人々”、あまり興味ないけど面白い企画だ。その中にシミズ未見作があるというので赴いた。これは父・川口松太郎の原作によるもの。残念ながら、あまりシミズっぽくない。子供も自然も移動も日守新一も出てこない。角梨枝子がキャバレーの歌手でセールスマンの菅原謙二が彼女に入れ込む客。菅原が角に貢ぐため自分の客のお金に手を付け御用。それを知った角が悲しみに暮れる菅原の母親を思い、示談にしてくれるよう、被害者の新藤英太郎、潮万太郎、浪花千栄子を説得して廻る。はっきり言って相手(+潮の弟として登場する船越英二)のキャラだけでもっているシークエンスで、あまり“人情”という感じではない。ただ、片が付いても角と菅原がくっつかないエンディングはよかったね。
#5「硫黄島」宇野重吉/1959/日活/Jan. 9/ラピュタ阿佐ヶ谷○
いづみさま#50。『幕末太陽傳』同様、昔スカパーで観ている作品。作品の印象が似ていることもあり『日本列島』のいづみさまを連想してしまう。あっちは学校の先生、こっちは看護婦さんだけど。相手役が大坂志郎で、しかもいづみさまから迫るというのはレアなポジションである。玉砕した硫黄島からの帰還者・大坂志郎は暗い。硫黄島での極限生活というかサバイバルは映画で再現するよりもっと悲惨なものだったろう。(洞窟のセットも木村威夫だろうか?) そんな男が、いづみさまの回想シーンではとても朗らかに笑っているのは矛盾ではもちろんない。おわかりですね。監督が宇野重吉というのは珍しいが、小澤榮太郞や小高雄二が最後までいい人というのも珍しい。でも山内明だけはいつもの山内明だったよ。いづみさまの履くサドルシューズがお洒落。
#4「歴史は女で作られる」マックス・オフュルス/1956/仏/Jan. 9/シアター・イメージフォーラム
タイトルしか知らなかった映画の“デジタル・リマスター完全復元版”。ここでいう“復元”には監督の意図とは別のところでズタズタに編集されたフィルムを元に戻すという意味があるらしい。音楽家の方のリスト、国王ルートウィヒ、そして若い学生と恋愛を重ねていく実在したラテンダンサー、ローラ・モンテス。その奔放な生きざまと、成れの果てとしてのサーカス曲芸師姿のコントラストが印象的。かつて映画が王様だった頃の贅沢さと、書き割りやあり得ない広さの馬車内セットなど陳腐な虚構が同時に味わえる、ある意味で楽しい作品。シルク・ド・ソレイユ以前のサーカスもね。ただし、残念なことに前半は睡魔に勝てず。学生は『突然炎のごとく』でジュールをやってた人だね。
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#3「一万年愛してる」北村豊晴/2010/台湾/Jan. 9/オーディトリウム渋谷
原題は『愛你一萬年』。沢田研二の『時の過ぎゆくままに』の中国語版のタイトルである。日本人監督による台湾映画。主役はF4の周渝民で、当然ながら観客は圧倒的に女性。相手役の日本人女優は、往年の浅野温子をワイドテレビで見たような加藤侑紀という人。3ヶ月の契約恋愛ののち、やはり忘れられずにくっつくという一種の紋切型ストーリーで、アニメーションやらごちゃごちゃ使われるし、ギャグはベタだし、なんだかなー、という印象。ロックバンドでボーカルを担当する周渝民が唄うタイトル曲で終盤盛り上げようとするのだが、いまみっつくらい乗れずに終わった。でも、いつかも書いた気がするけど、日本人が普通に中国語を習って、英語並みに話せるようになった時代なんだなーと感慨しきり。
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#2「桃の花の咲く下で」清水宏/1951/新東宝/Jan. 8/フィルムセンター○
シミズオヤジ未見作。まだまだ出ますよぉ。主演・笠置シヅ子というのが不安だが、観ないわけにもいかぬ。冒頭から、清水印の子供たち移動撮影。至福だ。服部良一の音楽で歌い踊る紙芝居師・笠置の人気に嫉妬する先輩たち、大山健二はともかく、日守新一が出てから、主役の座は彼に移行する。“昔は按摩をやってた”という台詞に爆笑。笠置が息子の療養で温泉に逗留してからは、『按摩と女』と『』状態。同じ温泉なんだろうか? 少なくとも雰囲気はとてもよく似ていた。行ってみたいなあ。全体として、悪くいえば自分の引き出しから適当にネタを並べた凡作にすぎないが、ファンにはたまらない小品である。しかし、“乳揉み”が得意という按摩というのは…。
#1「幕末太陽傳」川島雄三/1957/日活/Jan. 8/ヒューマントラストシネマ有楽町○
新年初映画は、いづみさま#29。日活100周年記念でディジタル修復したというので劇場に馳せ参じた。1862年の品川宿の遊郭・相模屋に居座った、結核を患う謎の文無し男・佐平次(フランキー堺)が生き続けるためにもがく姿を喜劇として描く、川島ならではのテンポよい秀作。相模屋に巣くう群像描写が素晴らしい。ただ、フランキー堺の演技はうまいのだが、どうもいやみな感じが拭えない。また、タフガイ、マイトガイ、ダンプガイ等による御殿山異人館焼き討ち謀略のサイドストーリーも成功しているようには感じられず。肝腎のいづみさまは借金のカタに相模屋に女中として奉公している可愛そうだがしっかりした娘。顔のふっくら感も取れ、いよいよ魅力全開の時期である。今回のチラシに写真がないのがけしからん。

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Last update: 2/17/2013

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